今こそ古事記を読もう【12】

『壬申の乱』を極端に簡単に言ってしまえば、「親百済」の天智系と「国粋派」の天武系の戦いです。

天智は即位後、後継は弟の天武を考えていたようです。だからこそ二人の娘を天武に嫁がせたと考えられますが、いつしか息子の大友皇子を後継にと考えるようになったようです。親百済派が画策したのでしょう。

これを察知した天武は、身の危険を感じたと思われます。
そこで、後継の意志がないことを示すべく出家します。
親百済派としても、出家した天武を追訴することはできなかったようです。

671年、天智天皇が亡くなり大友皇子が弘文天皇となりますが、翌672年、天武は国粋派をまとめ上げ百済派を倒します。後ろ盾を失った弘文天皇は、わずか25歳で自害します。

以上が『壬申の乱』の骨組みです。

取り巻きの事情があるとはいえ、天武は甥を倒して皇位を得たのです。つまり覇者です。

覇者は、新たな覇者により葬られる宿命を持っていますが、新たな覇者が現れない場合は骨肉の争いへ発展します。

次回でそれを述べます。

天智~聖武天皇系図
古事記おじさんのブログ-系図
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・・・つづく

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