今こそ古事記を読もう【11】

天武は当然のことをしたのでしょうが、同様に当然のこととして、母親は自分の子供に権力を委譲したいと考えます。

これから先を理解するには、天武が如何にして天皇になったかを知っておく必要があります。

そこでその経緯を簡単に述べましょう。

天武は40代天皇ですが、兄の天智は38代天皇です。
つまり天智と天武の間に、もう一人天皇がいました。
それが39代弘文(こうぶん)天皇です。

この弘文天皇は天智の息子で、即位前は大友皇子と名乗っていました。自然の流れで行けば、父・天智38代→息子・弘文39代→孫○○40代となるはずです。

ところがこの40代が、天武天皇です。
天智天皇に孫はいなかったのでしょうか?

いなかったのではなく、いないようにされたのです。

そうしたのが『壬申の乱』です。
次回はこの『壬申の乱』を簡単に説明します。

天智~聖武天皇系図
古事記おじさんのブログ-系図
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・・・つづく

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