今こそ古事記を読もう」カテゴリーアーカイブ

今こそ古事記を読もう【16】

【9】でも述べましたが、古事記の序は元明天皇を大賛美しています。 それだけ素晴らしい天皇が、天武天皇が指示していた歴史書の編纂を具体的に命じたとしている訳です。 これまで述べてきましたように、38代天智天皇誕生(661年 … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【15】

文武が15歳で天皇となったのは697年、持統は702年に亡くなったとされていますから、持統は約5年間、文武天皇をバックアップできたわけです。 持統が亡くなった時、文武はまだ20歳です。 その5年後、文武天皇は25歳で亡く … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【14】

後継者と目していた息子を亡くした持統天皇は、落胆したはずです。しかし彼女は、悲嘆で泣き暮らすようなナイーブな女性ではありません。 草壁皇子の息子、つまり彼女直系の孫である軽(かるの)皇子を42代文武(もんむ)天皇とします … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【13】

【10】でも述べましたが、天武には二人の息子がいました。一人は正妻との間の子「草壁皇子」、もう一人は正妻の姉との間の子「大津皇子」です。 諸誌によれば「大津皇子」の方が後継者に相応しかったようで、天武もその気だったとして … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【12】

『壬申の乱』を極端に簡単に言ってしまえば、「親百済」の天智系と「国粋派」の天武系の戦いです。 天智は即位後、後継は弟の天武を考えていたようです。だからこそ二人の娘を天武に嫁がせたと考えられますが、いつしか息子の大友皇子を … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【11】

天武は当然のことをしたのでしょうが、同様に当然のこととして、母親は自分の子供に権力を委譲したいと考えます。 これから先を理解するには、天武が如何にして天皇になったかを知っておく必要があります。 そこでその経緯を簡単に述べ … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【10】

後世に正しい歴史を伝えようと言い出したのは天武天皇ですが、それがいつかは分かりません。天武天皇の在位は673~686年の13年間ですから、そのどこかです。 分からないのですから、真ん中をとって680年頃としておきましょう … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【9】

「序」の第三段は、まず元明天皇(707~715年)を大賛美しています。 その上で、元明天皇が和銅四年(711年)九月十八日に、正しい歴史の編纂(今で言う)を命じたと述べています。(しかし、天武天皇と元明天皇の間にいた持統 … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【8】

「序」の第二段には、もう一ヶ所注目すべき記述があります。 それは冒頭部分の「飛鳥(あすか)の清原(きよみはら)の大宮に大八州(おほやしまくに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世に・・」です。 現代文にすれば「飛 … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【7】

「序」の第二段、ここに古事記編纂の理由が書かれています。 天武天皇の言葉として書かれている部分です。 「諸家に伝わる天皇の事績を記したもの(帝記)や伝承(本辞)は、真実と異なっていたり偽りが加えられているものがはなはだ多 … 続きを読む →

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