天智天皇」タグアーカイブ

古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【9】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ⑥ 天武は『列島を領土とする日本国』を意識した最初の天皇と言われています。 しかし、天皇が「国」を意識しただけで「国」ができる訳ではありません。 日本列島(当初は西日本 … 続きを読む →

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古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【7】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ④ 国際紛争で大敗した中大兄皇子は、唐が攻め寄せるのではないかとビビりまくります。敗戦責任を口実にクーデターが生じる可能性もありますから、都を海から遠い大津に遷し(66 … 続きを読む →

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古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【5】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ② ここで『乙巳の変』前後の状況を簡単に説明します。 乙巳の変は、35代皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645年)のときに起きたのですが、伏線は33代推古(すいこ) … 続きを読む →

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古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【4】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ① 実のところ、日本最初の歴史書がどのようなものだったのかは分かっていないのです。 原本ではなくても写本が現存することから、712年に完成したとされている古事記が最古と … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【8】

天智天皇の次に権威を持つのは、本来なら息子です。 しかし年齢的にもそれまでの経緯からも、弟の大海人皇子が皇太子となっていました。 反『百済派』の面々は、彼に接近したはずです。 天智天皇を取り巻く『百済』人達が、これを見過 … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【7】

『百済』が滅びた時、その生き残りが長年親しい関係にあった日本に亡命していました。百済王朝の官僚達の中には、天智政権の官僚として仕える者もいました。 実は『百済』は、300年代の後半つまり中国を『隋』が支配している頃に「日 … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【6】

日本の場合は大陸部とは様子が違います。 大陸から見れば東の海の向こうの島ですから、海あるいは島の海岸線が国境となります。 『唐』や『新羅』がよほど必要性を感じなければ、海を越えて まで攻めては来ません。 それでも白村江で … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【14】

後継者と目していた息子を亡くした持統天皇は、落胆したはずです。しかし彼女は、悲嘆で泣き暮らすようなナイーブな女性ではありません。 草壁皇子の息子、つまり彼女直系の孫である軽(かるの)皇子を42代文武(もんむ)天皇とします … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【12】

『壬申の乱』を極端に簡単に言ってしまえば、「親百済」の天智系と「国粋派」の天武系の戦いです。 天智は即位後、後継は弟の天武を考えていたようです。だからこそ二人の娘を天武に嫁がせたと考えられますが、いつしか息子の大友皇子を … 続きを読む →

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今こそ古事記を読もう【11】

天武は当然のことをしたのでしょうが、同様に当然のこととして、母親は自分の子供に権力を委譲したいと考えます。 これから先を理解するには、天武が如何にして天皇になったかを知っておく必要があります。 そこでその経緯を簡単に述べ … 続きを読む →

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