古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【59】

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―「神話部分」を読む ― 天照大神と須佐之男命 ④ 天の安の河の誓約 – 3 –

於是天照大御神速須佐之男命。
(ここにアマテラス大御神 ハヤスサノヲの命にのりたまはく

そこでアマテラスがスサノヲに告げた。

是後所生五柱男子者。
(こののちに あれませる いつはしらのひこみ子は)

「あとで生まれた五柱の男の子は」

物實因我物所成。
(ものざね あがものによりて なりませり)

「私の物である玉を物実として現れた」
物實(ものざね)とは種子の意味

故自吾子也。
(かれ、おのづから、あがみ子なり)

「だから当然私の子である」

先所生之三柱女子者。
(さきにあれませる みはしらのひめみ子は)

「先に生まれた三柱の女の子は、」

物實因汝物所成。
(ものざね みましのものによりて なりませり)

「お前の物である剣を物実として現れた。」

故乃汝子也。
(かれ、すなはち みましの み子なり)

「だから、つまりお前の子である。」

如比詔別也。
(かく のりわけ給ひき)

以上のように(アマテラスは)区別した。
五男三女全てがアマテラスとスサノヲの子供であり、本来は親を分けるものではない。だが最初に紹介するここで各自の起源を明示し、(おそらく今後のために)このように分けたのである。

故其先所生之神。
(かれ、そのさきに あれませる神)

そしてその(後で生まれた五男の)前に生まれた神(三女)だが、

多紀理毘賣命者胸形之奥津宮。
(たきりびめの命は、むなかたのおきつ宮にます

タキリ姫は、宗像の奥津宮に鎮座している。
(奥津宮=現在世界遺産云々の沖ノ島)

次市寸嶋比賣命者坐胸形之中津宮。
(つぎに いちきしまひめの命は、むなかたのなかつ宮にます)

中津宮とは、今は大嶋という島で、神の湊から三里の海中にあるらしい。

次多岐都比賣命者坐胸形之邊津宮。
(つぎに、たぎつひめの命は むなかたのへつ宮にます)

邊津(へつ)宮がある場所は、今は田嶋と言うらしい。この神社はかつて神の湊という海辺にあったのを、後に現在の地に移したとも言われている。そうであれば本来の地は神の湊であって、今の田嶋ではない。もっと調べなければならない。
それは兎も角として、奥・中・邊とはその所在地によりつけた名である。

此三柱神者胸形君等之以伊都久三前大神者也。
(このみばしらの神は、むなかたのきみらが もちいつく みまえの大神なり)

この三柱の神は、宗像の君等があがめ祭っている(筑前の)三座の神である。

姓氏録によると、胸形氏は大神(おほみわ)氏と同じ祖である吾田片隅(あたがたす)命の子孫である。また宗像氏は、大国主命の六世の孫である吾田片隅命の子孫との説もある。

宗像氏が宗像三神をあがめる理由を古書で調べると、オオナムヂの命が奥津嶋のタキリ姫を娶りアジスキタカヒコネを生み、また邊津宮のタギツ姫を娶りコトシロヌシを生み、そのコトシロヌシの六世の孫が吾田片隅命であるとされているからだろう。だがそれなら七世で姓氏録と一世違うが、古いことなので所説あるのも致し方ない。

この三座に関しては、大和の城ノ上ノ郡、尾張の中嶋ノ郡、下野の寒川ノ郡、伯耆の会見の郡、備前の赤坂ノ郡・津高の郡にもある。

・・・つづく 

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