古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【34】

―「神話部分」を読む ― 火神被殺 ②

次に 「比婆 (ひば) の山」 ですが、宣長は実に詳細に調べています。

“この山は、今はよく分からない。地元の者に詳細を尋ねるべきである。ある説に、出雲の国の秋鹿(あいか)の郡(こおり)佐陀(さだ)の神の社がそうだというが、秋鹿は伯耆との堺ではない。”
「佐陀の神の社」とは現在の「佐太神社」(島根県松江市鹿島町)でしょう。
この神社の正殿には「佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古」と一緒にイザナギ・イザナミ両命も祀られていますが、宣長の時代はイザナギ・イザナミがメインだったのかもしれません。
とはいえ秋鹿郡は島根半島内に位置しますから、論外でしょう。

“出雲国風土記に、能義(のぎ)の郡(こおり)の母理(もり)の郷(さと)の日波(ひなみ)村の山だとある。”
これが現在の島根県安来市伯太町横屋の比婆山を指しているようです。

“また仁多(にた)の郡(現島根県奥出雲町)に灰火(はいひ)山がある。ここは国の堺に近い。山の名が火灰(ひばひ)山なのではないか。”
出雲国風土記研究の第一人者加藤義成氏は、この灰火山を現在の仏山としています。
伯耆と出雲の国境からは約6km東ですから、ちょっと無理があるのではないでしょうか。

“また大原の郡(現島根県雲南市)に比和(ひわ)の社・比原(ひばら)の社があるが、ここは国堺ではない。”
比和神社は現在の雲南市ですから、伯耆より遙かに東で論外です。

“また備中の国の賀夜の郡に日羽(ひば)という郷がある。それがどこかも知らないが、備中・備後・伯耆・出雲4国が接する所だからおもしろいではないか。”
備中の賀夜は現在の総社辺りになりますから、4国が接する所ではありません。
当時の地図ではどのように描かれていたか分かりませんが、宣長の勘違いではないでしょうか。

“また伯耆の地元物語に出雲国内伯耆との堺の山中にたわの内という所があり、そこにイザナミの墓という塚がある。小竹が茂っているが、そこの草は牛馬は食べず寄りつかない。その塚の竹を杖にすると蛇は寄りつかないそうだ。”
ここも現在の伯太町横屋の比婆山です。
この山には真竹に似た茎に笹の様な葉をつけた珍しい「陰陽竹」が自生しています。
蛇が寄りつかない竹とはこの「陰陽竹」を指しているのかもしれません。

“日本書紀に、紀伊国の熊野の有馬村説があるが、これは異説である。後日遺体を移したなどと言うが、でたらめだ。”
宣長は日本書紀の文字使いは参考にしていますが、内容はあまり信用していないようです。

古事記伝には紹介されていませんが、現在も「イザナミの墓」との伝承が残り「国堺」の条件を満たしている地が二箇所あります。

ひとつが、 「お墓山」 鳥取県日野郡日南町大菅(標高800m)です。
(詳細は山陰の古事記謎解き旅ガイド10頁)

お墓山

もうひとつが 「母塚 (はつか) 山」 鳥取県西伯郡南部町福成(標高276m)です。
(詳細は山陰の古事記謎解き旅ガイド10頁)

母塚山

・・・つづく

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