古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【45】

―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ②

次に「日向」です。
この言葉には読み方によって二つの解釈の仕方がある。
ひとつは「ひむかひ」と読む場合で、「日の向かう地(ところ)」つまり「地名」を意味する。
古代は「日向(ひむか)う地(ところ)」を賞称(めでたたへ)たることが多かったので、そのような場所ということになる。
この解釈を採ると、竺紫(つくし)は筑前・筑後地方ということになる。

もう一つは「ひむか」と読む場合で、これは「日向(ひむか)の国」つまり「国名」のことだ。
この国は元々「肥の国」中にあったが、後に独立した国となった。
この解釈だと、竺紫は九州の総称となる。
どちらが適当か判断に苦しんだが、「国名」読みの「ひむか」とする。

宣長の結論は「国名」ですから、禊祓いの場所は、現在の宮崎県ということになります。

次に「橘(たちばな)の小門(おど)」です。
日本書紀の火折(ほをり)の尊(みこと)の段にも「たちばな」の地名が登場するので、同じ場所だろう。
ところが日向国にこの地名はない。
かつては大隅半島まで日向と言ったので、調べてみたがどこにもその名はない。
実は日向国にかつてそのような名前だったと言われる場所がある。
だがあちこちで後付けが行われていることから、安易に信じることはできない。
とはいえ「日向」と書かれているのだから、時代とともにその地名は消滅したのであろう。

「たちばな」の地名を「日向かう地(ところ)」で考えるなら、九州地方で探すしかない。
参考までに、貝原(益軒)は次のように述べている。
「筑前の国の糟屋の郡に立花という所がある。
また席田の郡にも早良の郡にも靑木村という所があって海辺だという。
そこで禊が行われたのであろう」
神聖な地の多くが九州であることから、それなりの理由があるとは思う。

「小門」は「地名」ともいうが、小さな水門で「川の落ち口」と解釈すべきであろう。

次に「阿波岐原」です。
これは「あはぎはら」と読む。「き」ではなく「ぎ」である。
また「あはぎ」が「はら」と、「が」を付けて読むべきではない。
これも地名ではなく、「あはぎ」の木の茂った地という意味であろう。

(注)「あはぎ」の木とは、モチノキ・樫の木を言うようですが分かりません。

この部分の結論ですが、
『現在の「宮崎県地方」の
「モチノキか樫の木が茂った地方」の
「川の水の落ち口」の水で躰を清めた』
ということで、詳しい場所は分かりません。
「小門」は、海・川・湖のいずれへ注いでいたのかも分かりません。
いずれにせよ「みそぎ」とは「水」で行うことを言うと、宣長は断言しています。

・・・つづく

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