古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【60】

―「神話部分」を読む ― 天照大神と須佐之男命 ⑤ 天の安の河の誓約 – 4 –

故此後所生五柱子之中。天之菩卑命之子建比良鳥命。
(かれ、こののちにあれまする いつはしらのみ子の中に、あめのほひの命の子たけひらとりの命)。

そして、このあとで生まれた五柱の子の中で、アメノホヒの子のタケヒラトリだが、
(タケヒラトリ=アメノヒナトリ)

比出雲国造(こは、出雲のくにのみやつこ)。
武蔵(むさしのくにの)国造。

入間の宿祢はアメノホヒ命の子孫とある。
上菟上(かみつ うなかみ の)国造。
上総の海上郡=千葉県中部
下菟上(しもつ うなかみ の)国造。
下総の海上郡=千葉・茨城・埼玉県
伊自牟(いじむの)国造。
上総の国夷隅(いすみ)郡=茨城県
津嶋(つしまの)縣直(あがたへ)。
對馬嶋上ツ県=対馬
遠江(とほつあふみ の)国造等之祖也(らのおやなり)。=静岡県
○。○。○・・・らの祖神である。

次(つぎに)天津日子根(あまつひこねの)命者(は)。
凡川内(おふしかふちの)国造。

河内の国=大阪府
額田部(ぬかたべの)湯坐連(ゆえのむらじ)。
倭の国額田邑=奈良~大阪地方
木(うばらきの)国造。
常陸の国茨城郡=茨城県
倭田中(やまとのたなかの)直(あたへ)。
=奈良県
山代(やましろの)国造。
倭の国の北の方の山の後ろ=京都
馬來田(うまぐたの)国造。
上総の国望田(まうた)郡=千葉県
道尻岐閇(みちの しりの きへの)国造。
不明
周芳(すはうの)国造。
不明
倭(やまとの)淹知(あむちの)造(みやつこ)。
=奈良県
高市(たけちの)縣主(あがたぬし)。
倭の国の高市郡=奈良県
蒲生(かまふの)稲寸(いなき)。
近江の国の蒲生郡=滋賀県
三枝部(さきくさべの)造(みやつこ)等之祖也(らのおやなり)。

この部分でアメノホヒの命だけではなく建比良鳥(たけひらとり)の命を取り上げてその子孫を紹介しているのは、この神の功績が大きく有名だからである。
この神の名は書物により「武夷鳥(たけひなとり)」「天夷鳥(あめひなとり)」「天日照(あめひなてり)」など、どれも比那(ひな)としているが、古事記だけが比良(ひら)としている。
名前の意味は、この神が天から降りて邊鄙(ひな=辺境の地=下界?)を平定した功績を称賛する、鄙照(ひなてり)との称号であろう。
彼の功績は「因幡ノ国・高草ノ郡・天ノ穂日ノ命ノ神社、天ノ日名鳥ノ命ノ神社」
「出雲ノ国・出雲ノ郡・阿麻能(あまの)比奈等理(ひなとり)ノ神社」
「河内ノ国・天ノ夷鳥ノ命の神」などに残されている。

宣長は「出雲国造(いずものくにのみやつこ)」に関して、古書を調べて詳しく説明しています。
アメノホヒが、葦原の中つ国を平定するために降臨して出雲に逗留したことは諸書に記されており、タカミムスヒの尊がオオナムチの神に「お前が住むべき天の日隅(ひすみ)の宮は今造るべきで、お前を祀るのはアメノホヒである」と告げたとあるが、これが出雲の国の造(みやつこ)、また大社(おほやしろ)の神主となる起源である。

国造本紀にはアメノホヒの命の十一世の孫、宇迦都久怒(うかづくぬ)を、国造に定めた」とある。

姓氏録には「出雲の宿祢はアメノホヒの命の子、アメノヒナトリの子孫」
「出雲は、アメノホヒの命の五世の孫、久志和都(くしはず)の命の子孫」
「出雲の臣(おみ)は、アメノホヒの命の十二世の孫、鵜濡渟(うかづくぬ)の命の子孫」などとある。

宿祢や臣(朝臣)などの称号は、アメノホヒの命の子孫であることにより与えられたものだが、出雲から都に上って朝廷に仕えたことが始まりである。
諸族にこのような例が多い。在京であれ本国在住であれ、元々は国造の子孫に与えられたもので、古事記は「国造」・日本書紀は「臣」としている。

現在(=江戸期)も「国造」として残っているのは出雲と紀ノ国だけで、中でも出雲国造は有名である。この二国の「造(みやつこ)」は古より特別だったようだ。

出雲国造はアマテラスの次男アメノホヒの子孫ですから、天皇家の血筋です。
ですから別格で、江戸時代でも特別扱いされていたのでしょう。
紀ノ国造は大国主命の子孫とされていますが、一説にはスサノヲの子孫ともあります。いずれにせよ出雲系のようで、両出雲が特別扱いだったということです。

・・・つづく

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