ヤマタノオロチ【7】

酒造りですが、古事記には「八塩折(やしおおり)の酒を醸(か)み」と書かれています。

これは何度も繰り返し醸造した濃い酒と解釈されており、恐らくほとんどの方が、この酒は日本酒でどぶろくのようなものと理解していると思います。

日本酒は、米と麹(こうじ)と水で造りますが、麹がない古代は米を口の中で噛んではき出して作ったとされています。ですから「酒を醸(か)み」と、「醸む」の字を「かむ」と読む訳です。

何度も繰り返し醸造するとの解釈は、この「かむ」という作業を無視しています。
室町時代になってからですと「米」「麹」「水」で酒を醸造しますが、醸造は一回だけです。

つまり日本酒を何度も醸造して濃く(強く)することは不可能なのです。
このような解釈に疑問を呈さない学問の世界に、疑問を感じます。

この酒について日本書紀は「沢山の果実で酒を作る」あるいは「毒の入った酒」と記しています。また出雲地方に伝わる神楽の歌詞には「種々の木の実で作った毒酒(強い酒)」とあります。

・・・つづく

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ヤマタノオロチ【7】 への1件のフィードバック

  1. 24 のコメント:

    古事記と直接関係ないかも知れませんが、少彦名命が酒作りを伝えたとして祀られて要るのが疑問です。少彦名命に先駆けアシナヅチ命が酒を用意していますし、そもそもスサノヲ命が酒を知っていた訳です。高天原で少彦名命が作った酒を飲んでいたのでしょうか?
    もうひとつ、少彦名命が大国主の病気を直す為の、別府から海底を貫き作った道後温泉が日本最古とされているのも納得がいきません。
    これによると別府の方が古い訳だし、そもそも、出雲には、川からお湯が湧いている温泉があると聞いています。
    少彦名命の功績を大きく見せている感じがします。24は天穂日命が少彦名命の様に思えてなりません。天穂日命=稲穂命=米粒程の男=少彦名命。また、大国主命にヘツラウばかりの点でも一致すると考えています。
    少彦名命を祀るのは、天穂日命の子孫とする一族が、自分達の功績としたかったのではないかと思います。

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