世界に光と平穏が戻ったところで、神様達は会議を開きます。
古事記は、高天原ではなにごとも合議によって進めたと強調していますが、殊更に合議のイメージを与えようとするところに、なにかしらうさん臭さを感じるのは私だけでしょうか。
実際はその反対で、ごく少数で物事を決めていたが不平不満が多く、神様の世界ということで理想状態に仕立てたのではないでしょうか。あるいは本当にずば抜けた統率者がいないために、いちいち話し合いをしなければならなかったのでしょうか。
会議の議題はスサノヲの処罰です。
これを参加者全員の合議ということにしておけば、後々誰かが恨まれることはありません。やはり一部の者が結論を誘導していたのではないかという気がします。
さて問題の処罰の内容ですが、実に人間的です。
まず「千位(ちくら)の置戸(おきど)を負わせ」と記されています。これは「沢山の台に乗せた品々」という意味で、多くの賠償品ということです。つまり「沢山の賠償品を負担させた」のです。
そして更に、「ひげと手足の爪を切り祓え(はらえ)」と記されています。これは身体の一部を切り取ることによって「お祓い」をするという、古代の刑罰と見なされているようです。ひげと爪をを切られることが刑罰だなんて、楽なものです。
ところが日本書紀には「抜かれた」と記されています。これなら刑罰になります。ひげは兎も角、手足の爪を全部抜くのは拷問です。当分、物を持つことも、歩くことも出来ないはずです。
スサノヲは、穢れをもたらし罪を重ねたとんでもない重罪犯として処分されたのですから、顔と手足を血だらけにして放り出されたと理解するほうが現実的です。
このような処罰の決定を、「八百万(やおよろず)の神々が合議した」と記すだけで、アマテラスが関与したかどうかを不明にしているところに編者の思惑を感じます。
その思惑の追求は後にするとして、血まみれのスサノヲは人間世界に放り出されました。
・・・次回からはヤマタノオロチ編です。