ヤマタノオロチ【12】

今の社会で、揃っていないから継承権云々を大騒ぎする人はまずいないと思います。
しかし、鎌倉時代以後の権力者が壇ノ浦でなくなっていたとの説を主張して皇室に譲歩を求めたことは十分に考えられます。

その後から江戸時代にかけて皇室の権威が失墜していったことが納得できるような気がします。さしずめ信長などは「草なぎの太刀」を見せろと要求したかもしれません。

明智光秀の謀反の背景に朝廷が絡んでいたとの説がありますが、信長の要求に困った朝廷が征夷大将軍を餌に光秀を動かしたと考えることもできます。

だが朝廷は光秀より秀吉の方がコントロールしやすいと考えていた。そこで秀吉に光秀謀反を教えておいた・・・秀吉の素早い動きはこれ故だった。

面白い物語ができそうですね。

・・・つづく

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ヤマタノオロチ【12】 への2件のフィードバック

  1. 和平 明憲 のコメント:

    たまに話題になるようですが、それが本物かどうかも分からないでしょうから色々と言う人は少ないでしょうね。
    明智光秀は本当に謎ですね。
    色々な説が出ていますが、どれも本当のような感じです。
    確かで無いだけに、自由に物語が作れそうですね。
    ではでは!

  2. 古事記おじさん のコメント:

    >和平 明憲さん
    明智光秀に関しては大山にも面白い話があります。
    大山中興の祖といわれる豪円和尚は明智光秀と若い頃から親しかったのだそうです。
    その関係で秀吉から大山寺が知行をもらうことができたとの説もあります。
    ところが豊臣政権が倒れ、徳川体制となります。
    権力が変わったのですから、知行も新権力から与えられることになります。
    全国の神社仏閣が知行を求めてきますから、窓口の責任者が必要です。
    徳川幕府の責任者になったのは天海和尚と言われています。
    豪円は徳川幕府に知行を願い出ます。
    対応したのは天海和尚です。
    実は「天海=光秀」説がありますが、二人が顔を合わせた時どのような会話がなされたのでしょうか。
    結果は知行が認められました。
    豪円はこのことについて何も書き残していません。

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