古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【8】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ⑤

天武に至るまでの天皇(高天原)族は、列島各地に点在する部族の大きなもの程度だったと思われます。勢力拡大過程では内部権力争いが絶えず、トップの座の天皇といえども絶対的な力を持っている訳ではなかったようです。他の大きな部族も同じような状況だったでしょうから、各部族の長に日本列島をひとつの国と考える発想など無かったはずです。

しかし大陸や半島との交流が盛んになることで、日本列島の部族間の常識とは全く異なる考え方があることを知ったと思われます。列島内の部族間なら「○○と説明すれば、××の返事が返ってくるだろう」と思われることに、想像できないような返事が帰ってくるというようなことがあったはずです。

これを今風に表現すれば「強烈なカルチャー・ショック」です。
やがてそのような経験を何度もすることで、感覚として異質の民への警戒感が強くなり、「同質の民がいくつもの部族に別れて住む列島」と「異質の民が住む列島以外の地域」という考え方が生じたと思われます。

当時の日本列島は大陸や朝鮮半島に比べれば発展途上地域ですから、最大部族であった天皇族(高天原族)だけでは先進地域に対抗することはできません。
その事実を明確に理解し、対抗できる状態に持って行こうとしたのが天武だったのです。
天武は、自らの部族内でのトップの座を絶対的なものとすると同時に、西日本の全部族を完全に支配下に置きました。

「権威」と「権力」の双方、を天皇に集中させたのです。
これにより、天武は『列島を領土とする日本国』を意識した最初の天皇と言われています。

・・・つづく

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