タケミナカタ≪その四・完結編≫
スサノヲの資質を受け継いだタケミナカタは、出雲再興のため、母スセリ姫の指示に従い東の果て諏訪の地へ退いたのではないかと思います。
他方高天原勢力は、アマテラスの血筋であるコトシロヌシは生かすがスサノヲの血を引くタケミナカタは始末したかったはずです。
でもそれを実行すれば、スサノヲの決断力と行動力を受け継ぐスセリ姫が立ち上がります。
ならばスセリ姫も殺せばいいようなものですが、そうなればスサノヲを信奉する部族が反高天原で一斉蜂起したでしょう。
当時の高天原勢力に、それを制する力はなかったと考えます。
あれば実行していたはずなのに、していないからです。
タケミナカタもこのバランスオブパワーの関係を熟知しており、「出雲再興の日」のために、諏訪地方の部族を出雲と同じ馬を駆使した戦闘集団に仕立て上げようとしたのではないでしょうか。
この流れによるのでしょうか、諏訪地方には他の地方には見られない自立意識の強い騎馬部族集団が生まれています。
16世紀になってこれらの部族を臨機応変に統率したのが武田信玄で、当時世界最強と言われた武田騎馬軍団につながったのであろうと考えます。
信玄は西を目指していました。一般的には京都と考えられています。
でも私は、信玄はタケミナカタの遺志を実現しようと出雲を目指していたのではないかと考えています。
その理由として、京都ならもっと早く行けたのに実行していないことがあります。
さらには結果としての最後の遠征ですが、京都が目的地にしては準備・態勢が重厚過ぎるように思えるのです。
信玄は、京都を手中にした後、出雲に都を再建しようと考えていたのかもしれません。
タケミナカタとは、信玄を虜にしてしまう程の勇者だったのではないでしょうか。
―タケミナカタ編 完―
連載はまだまだ・・・つづく
いつも興味深いお話しを楽しみに読んでおります。タケミナカタは日本でも有数の長野県の一宮諏訪神社に祭られていながら不明なことが多すぎ興味深い神様です。長野県佐久市の新海神社の神様はタケミナカタが栃木県日光の二荒山にいる母神様に会いゆく途中で群馬県の一宮貫先神社の神様との間に生まれた御子神様だそうです。二荒山の女神といえばタゴリヒメで宗像三女神のお一人ですからタケミナカタは宗像の御子となるのかもしれません。また、諏訪大社下社では年に二回春宮と秋宮を移動するお祭りがありますがその手段は船と聞いております。お察しの高説を裏付けるものはまだまだ沢山ありそうです。
コメントありがとうございます。
次田真幸氏は、タケミナカタの「ミナカタ」は「宗像」から来ていると説明されています。
これは母親が「タギリ姫」であることからのようですが、父親が誰だか分かりません。
ご案内頂いた内容は、初めて知りました。
「日光の二荒山にいる母神様に会いゆく途中で群馬県の一宮貫先(前?)神社の神様との間に生まれた御子神様のおはなし」は、何に書いてあるのでしょうか?
また『貫前神社』のご祭神は経津主神となっていますが、タギリ姫とフツ主の婚姻関係は初めて知りました。
社殿は江戸時代の建立のようですので、どこかから勧請してできた神社かもしれません。
そうであれば、「由緒の地が神社になった」のではなく、あと付けの「由緒」かもしれません。
私はタケミナカタに模された人物の母はスセリ姫だったのではないかと考えています。
「諏訪地方で崇敬されていた神と出雲の神を後に合体させた」との説もあります。
分からないから知的好奇心を搔き立ててくれますよね。