もしも古事記の神々が人間だったら・・・【1】

はじめに

2012年が古事記編纂から1300年目という節目の年であったこと、そして2013年が伊勢神宮の20年毎・出雲大社の60年毎の遷宮が重なる年であることから、古事記神話に光が当たり始めています。

最近の若者が本を読まなくなったからでしょうか、ずいぶん昔に出版された神話関係の漫画本が復刻されたり、有名漫画家による古事記の漫画化が盛んに行われたりしています。
そのいくつかに目を通してみましたが、これまで通りの解釈が基本となっています。
漫画家は、個性と独創的発想を売りにしているクリエーターであるはずですが、どの作家も個性的な解釈をしていません。
彼らの魅力は奇想天外で自由奔放な発想なのですが、古事記に関してだけそれができない点に違和感を持っていました。

先日、偶然にも中堅作家と直接お話しする機会がありました。
そこで私が受けた違和感について尋ねました。
答えは実に単純なものでした。
「出版社の求めに応じた作品でなければ、仕事がもらえない」
「特に大手出版社の場合、解釈にクレームがつくことを嫌がる」
一般人の多くは、ある程度の地位を得ると保身を考えます。
漫画家の世界もそうだったのです。
無名作家は、個性を目一杯発揮して認められようとします。
幸運にも有名になった時、個性や自身の主張を抑えて地位の継続を考えるのでは我々凡人と同じです。
でもクリエーターとしては、その時点で存在意義を失っているのですが・・・
真のクリエーターとは、権力や出版社に対して『創作活動での妥協を拒否できる』作家だと思います。
このような人が名を残すのでしょうね。

私は、多くの漫画家により様々な解釈の古事記神話が出て来るのではないかと期待していました。でもそれは無理なようですので、学界・宗教界の解釈に縛られないで、古事記神話に登場する神々を「実在した人物を、後の世の人が『神』とした」のかもしれないと考えてみます。

つづく・・・

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