お咎めなしのアメノホヒですが、社伝に「このアメノホヒ降臨地でその子孫が出雲国造(くにのみやつこ)として25代まで当社に奉仕した」としているのが、松江市大庭町の神魂(かもす)神社です。
神魂(かもす)神社
出雲国造家は今の出雲大社の宮司家ですが、現在の宮司は84代目だそうです。1代の平均が20年とすれば1680年の歴史ですから初代は西暦330年頃ということになります。
25代までが神魂神社の宮司家ということは、830年頃までの出雲国造は神魂宮司家だったことになります。
社伝がアメノホヒ降臨地としているのですから、古くからあった神社のはずですが、出雲風土記には記載されていません。専門家に聞きましたら「出雲風土記は733年に完成しているが、その頃神魂神社はなかった」からだそうです。
でもこれでは辻褄が合いません。
上述の如く、330年頃から830年頃まで神魂宮司家が出雲国造を務めていた訳ですから、出雲風土記編纂開始の713年から完成の733年は、神魂宮司が存在していた期間です。
出雲風土記には国造の存在を示す記述があります。
神魂神社が出雲風土記に紹介されていない理由を、これまでの専門家は究明しようとしていないようです。
本当は、追求してはならない何かがあるように思うのですが・・・