イザナギ
古事記神話では、天上界に最後に現れた男女一対の神の男神という設定です。新参者ですから、天上界の神々の中では一番身分が低い(若い)ようで、大地(島)を作れと命じられます。
これは、若い男女が独立して新天地で二人の新居を構えるということでしょう。二人の年齢は書いてありませんが、古代ですから男が15~6才、女が12~3才といったところでしょうか。
住む場所=二人だけの世界ができると、若い男女は見つめ合い、抱擁し、互いの身体をまさぐり合ったはずです。思春期の異性に対する本能的好奇心ですね。
少年は自身の身体に生じた突起に気づいたのでしょう。
「お前の身体はどうなってる?」と尋ねます。
少女は「欠けた部分がある」と答えます。
男女は教えられなくても子孫を残す方法を知っているということです。
二人は日本人の祖ですから、日本列島のありとあらゆる物を生んだことになっていますが、最後に『火』を生んだ時、妻イザナミは火傷を負い亡くなります。今風に考えれば、産後の肥立ちが悪く母親が死んだということでしょうか。
これに対し夫のイザナギは、その子の首をはねて殺してしまいます。
現代人には考えられない行動ですが、妻を死なせた原因は、例えわが子でも排除するという厳しい姿勢です。
妻=いま役に立つ者、子=いつか役に立つ者ですが、イザナギは目先の価値を重視したのです。
この考え方は、スサノヲの扱いにも現れます。命じた通りにしないスサノヲを追放します。
また亡くなった(死の国に行ってしまった)イザナミを連れ帰ろうともします。
そのとき「準備するから待って。そのあいだ私を絶対に見ないで」と言われたにもかかわらず見てしまいます。
「好奇心が強い」とも思えますが、「相手の要求通りにはしない」とも受け取れます。
これは独裁者によくあるタイプ・・・イザナギという男性は途上国の独裁者といった感じです。
国がきちんと出来上がる前つまり途上段階では、強烈な意志を持った独裁者でなければその地域をまとめることはできなかったのでしょう。
独裁者の末路は孤独です。
イザナギも、誰にも慕われもせず惜しまれもしなかった感じです。
古事記は「近江の太賀に鎮座している」と、妙に素っ気ない扱いです。
つづく・・・