古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【51】

―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ⑧

ここに左の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、
(12)天照大御神。

次に右の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、
(13)月讀命。

次に御鼻を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、
(14)建速須佐之男命。

この三神の出現は、先の十一神が出現した後のことである。
顔を洗ったのは、水底・水中・水面で清めたあと、
つまり洗い終わってからである。
だから「洗ひたまひし」と読むのである。

天照大御神
天照(あまてらす)は、天(あめ)にいて、照り賜うという意味である。
この神は、御禊(みみそぎ)によって初めて出現したのであって、
それ以前には月日は無かった。

世の識者の
「月日は天地の初めからあったものとし、天照大御神や月讀命は月や太陽ではない」
説は、何を根拠にしているのか。
外国書物に感化された個人的見解で、日本古来の正しい記述に背いたとんでもない邪説である。
もし中国の陰陽説が正しければ、
左目から生じて日の神となったこの大御神は、
男神でなければならないのに女神である。
逆に右目から生じた月の神が男神であるのはどういうことなのか。

陰陽説が真理に合致していないのはこの点で明白なのに、
無理やり陰陽説に合致させようとあれこれ論証しようとしているのは論外である。
陰陽の真理は中国の発想であって、我が国の古来発想には合致しない。

ここで宣長は、
「古事記にある日本古来の説が真理であって、中国の書物による説は間違い」
だと、かなり感情的になっています。
彼は古事記こそが真理だと、百パーセント信じていたようです。

月讀命
「つくよみ」と読む。意味は夜を司る神で男神である。
日本書紀の「剣を抜いて保食(うけもち)の神を殺した」記述も、男神を示している。

時々、「アマテラス=男、ツクヨミ=女ではないか」と聞かれることがあります。
宣長のように古事記を真理と考えなくても、
文脈からアマテラスは女以外に考えられません。
ツクヨミの性は判断する記述がないので分かりません。

建速須佐之男命
日本書紀に「須」を「素」と書いている部分があるが間違い。
日本書紀には多々間違いがあるので、注意しなければならない。

ここで目と鼻を洗ったことだけが語られていて、口と耳には触れていない
これは、黄泉の国のものを食べなければ、口は穢れないからである。

また耳は、声や音には穢れがないからである。
見ることと嗅ぐことで、穢れるのである。

イザナギが目にした穢れは浅いものであって、染みついてはいなかった。
だから目から現れた月日の大神は善なる神である。

だが嗅いだ匂いは深くなかなか消えないものであったから、
鼻から現れたスサノヲは悪なる神である。

右の件の八十禍津日(やそまがつびの)神以下(よりしも)、
速須佐之男命以前(よりさき)の十四柱の神は、
御身を滌(すす)ぐによりて生(な)れる神なり。

ここで現れた十四柱の神も、イザナミを母親とする。

・・・つづく 

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