―「神話部分」を読む ― 伊邪那伎命と伊邪那美命 ②
イザナギ・イザナミの国づくりは、若者が親の集団から離れて新たな地に移り住むという当時の実体験を下地にしていると考えられます。
当時は親集団での生活そのものが学習の場ですから、歩けるようになった時から労働力です。女子の場合は生理、男子の場合は勃起が始まる頃には一人前だったと思われます。
ですから男女とも10~13歳程度で現在の20歳同様の立場・扱いを受けていたと考えられます。
イザナギ・イザナミがオノゴロ島に降り立った時の場面を想像してみましょう。
年齢はイザナギが13歳でイザナミが11歳程度、二人とも性の経験はありません。
親から命じられて新しい土地に行き、まずしなければならないのが「ねぐら」づくりです。
二人は材料を集め歩き、次にそれらを組み合わせて何とか安全に寝ることのできる場所を確保します。
「できた!」とホッとし、一息つくのが自然です。
それまでは移動と「ねぐら」づくりしか頭にありませんでしたから、その時になって初めて、これから一緒に暮らしてゆく相手をじっくり見る時間ができます。
身にまとっているのはたいした物ではなかったはずですから、互いの体は剥き出し状態だったはずです。
二人とも、よくよく相手を見ると自分と同じではないことに気付きます。
そこでイザナギがイザナミに尋ねます。
「お前の体・・・どうなってるの?」
イザナミが自分とイザナギの体を見比べながら答えます。
「ほとんどあなたと同じだけど・・・一箇所だけ閉じてない所がある」
「俺には飛び出した余分の物がある・・それをお前の閉じていない所にさし込んでみようか」これは動物の本能ですから、教わらなくてもする行動です。
そして結果として子供が生まれますから、「子供を生むにはこうすればいい」となります。
この部分を「古事記」は
『ここにその妹(いも)伊邪那美の命に問ひたまはく、
「汝(な)が身は如何(いかに)か成れる」ととひたまへば、
「吾(あ)が身は、成り成りて成り合はざる處(ところ)一處(ひとところ)あり」
と答へたまひき。
ここに伊邪那伎の命詔(の)りたまはく、
「我が身は、成り成りて成り余れる處一處あり。故(かれ)、この吾が身の成り余れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞(ふた)ぎて、国土(くに)を生み成さむとおもふ。生むこと奈何(いかに)」とのりたまへば、
伊邪那美の命、「然善(しかよ)けむ」と答へたまひき』
と表現しています。
ここで注意すべきは「国土を生み成さむとおもふ。生むこと奈何」です。
男性であるイザナギに「おもふ」と自分の意志を伝えさせた上で、「生むこと奈何」と女性であるイザナミの意志を聞かせ、イザナミは「然善けむ」と同意したと明記しています。
実は、最初に「その妹イザナミ」と書かれています。
「妹」とは「妻」という意味ですから、最初に「二人は夫婦」だと分かるように書いているのです。
夫婦なら性行為があって当然ですが、最後にわざわざ妻の同意を確認させているのです。
戦前まで本人達にとって不本意な結婚が随分ありました。(おそらく今もあるでしょう)
ましてや「古事記」が編纂された頃は一夫一婦制ではありませんでしたから、親や周囲の都合で好きでもない男の妹(=妻だが正妻とは限らない)にさせられて子供を生まされる女性が多かったと思われます。
というよりは、その方が多かったのではないでしょうか。
イザナギとイザナミは国土を生もうとしているのですから、男女双方の確固たる意志によるものであったと強調しておく必要があったと考えられます。
・・・つづく
古事記おじさん、初めまして。
昨秋出雲を旅した折「古事記謎解き旅ガイド」と出会い、古事記上巻で描かれる神話、そして
出雲の古社に関心を持つようになりました。ガイドブックを拝読して目からウロコ、とても分かり
易く、そして強く、深く興味をそそられる、魅惑の一冊でした。
このことがきっかけとなりまして、東出雲を訪問、神魂神社と八重垣神社を参拝する運びとなり、
より印象深く中身の濃い旅を楽しむことができました。古代出雲との橋渡しとなる「謎解き旅ガイド」
に感謝しています。
神魂神社境内は深遠で厳かな空気に包まれていて、伊邪那美命が雲伯の境に葬られ、黄泉の
国へ旅立たれたくだりが思い出されます。小高い山々が多く連なる東出雲の景色を眺めています
と、もしかしたら「母の国、根の堅洲国」はこの地を中心に広がっていたのかもしれない…と想像を
かき立てられました。
伊邪那岐命、伊邪那美命の国生み神話はスケールが大きく、躍動感と力強さが感じられますね。
各エピソードごとに何か色々と示唆するところがあるのでは、思わず考えさせられます。ブログの
続きをとても楽しみにしています。
(追記)改行がうまく行かず、文章が読みづらくなり、申し訳ありませんでした。
しろつばきさん、コメントありがとうございます。
今の日本では、ほとんどの人が「古事記=神話」と受け止めています。
でも私は、古事記の舞台に延々と伝えられてきた「伝承」に接したことで
古事記の編者達が「史実を神話のようにアレンジした」と受け止めています。
当初「解説的な書き方では分からない」との要望により、
より分かり易くしようと「物語」も書きました。
それが「古事記外伝―イズモ・クロニクル―」(幻冬舎ルネッサンス)です。
これは地元の伝承と地形を元にして「出雲がどのようにしてでき、
どのように滅びたか」を書いた物です。
これを読んで「現地を見たい」とおいでになる方もいらっしゃいます。
東出雲町に古事記では死の国の出入り口としている「黄泉比良坂」が現存します。
私は、「そこはスサノヲ本拠地の西の砦」だったのではないかと想像し、
物語の中ではそのような場所としています。
もし興味をお持ちでしたらそちらもお読み下さい。
書店の店頭にはないと思いますが、注文すればOKです。
今後ともよろしくお願い致します。