もしも古事記の神々が人間だったら・・・【9】

スサノヲ ≪その一≫

スサノヲ

 古事記の中でスサノヲが初めて登場するのはアマテラスと同じ場面です。
彼は最後に紹介され、「海原をおさめよ」と命じられます。
あの場面で、イザナギは三人の子供に「昼」と「夜」と「海原」の管理を任せます。
これは、「昼」「夜」「海」が古代の人々にとって絶対に手の施しようがない「自然現象」と理解されていたことを意味するのではないでしょうか。

 中でも「昼」と「夜」は、感じることはできても手で触れることはできません。
ところが「海」は触れることができ、そこから食物を得ることができます。
さらに船を浮かべることにより、大量の人や物が運べる交通手段にもなり、海の向こうの部族との交流もできます。
つまりスサノヲは、抽象的な「昼」「夜」ではなく、具体的に人間生活と密着した「海」の管理者に任命されたのです。

 でも、これだけでは「片手落ち」と感じませんか?
肝腎かなめの「陸地」の管理者が任命されていないのです。

ところが、よくよく考えてみますと「陸地」は海の一部です。
これは古事記の最初に書かれています。
「国稚(わか)く浮きし脂の如くして海月(くらげ)なす漂へる時・・・」
まだ国土がちゃんと固まっておらず、水に浮く脂のような状態でクラゲのように漂っている時ということですが、この部分だけでは海に漂っているかどうかは分かりません。
イザナギとイザナミがオノゴロ島を作る場面には
「塩こをろこをろに画(か)き鳴(な)して引き上げたまふ時、矛(ほこ)の末(さき)より垂(したた)り落つる塩、累(かさ)なり積もりて島となりき・・・」
と書かれています。
これは、矛で海水をかき回して引き上げたら矛の先からしたたり落ちた塩が積もって島になったということです。

つまりイザナギ達は「海」から「国土」を作ったと、わざわざ説明しているのです。
ですから「海」の管理者は、「国土」の管理者も兼ねていると解釈できます。スサノヲは「海」と「国土」の管理者と任命されていたのです。

では、イザナギはなぜスサノヲにそのような仕事を与えたのでしょう?
私の独断ですが、古事記が書かれた当時に日本列島に住んでいた人達は「スサノヲと言われる人物が、日本列島の西半分を束ねていたことがあった」との伝承を代々伝え聞いており、多くの部族から崇拝されていた。
それゆえに、スサノヲに現実的な職務を与えなければならなかったのではないでしょうか。

・・・つづく

カテゴリー: 連載を読む, もしも古事記の神々が人間だったら・・・, 神様から読む, スサノヲ タグ: , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。