もしも古事記の神々が人間だったら・・・【10】

スサノヲ≪その二≫

 過去の英雄として人望を集めていたスサノヲに関する伝承は、全国制覇を狙う高天原勢力に敵対する部族にとって『高天原族に対する非難・中傷』の根拠となります。
古事記を作らせたのは高天原勢力ですから、高天原側としてはスサノヲを悪者として葬り去りたかったのだと思います。
でも全国に伝承がありファンがいるのですから、とんでもないことは書けません。
そこで古事記では、父親であるイザナギの言うことを聞かない『だだっ子』として表現するのが精一杯だったのではないでしょうか。

 髭が胸元に伸びる年齢(18~19才?)まで、泣き暮らすだけで与えられた仕事をしないと書いています。その結果、山は枯れ、川も海も干上がり、悪党がはびこるとんでもない状態になってしまいます。

この記述を単純に読めば、言うことを聞かない無責任者ということになります。でも逆読みしますと、彼がちゃんと仕事をすれば「海も川も豊かな水をたたえて野山には緑が溢れ、民衆は安全な生活ができる」ということです。
彼の仕事とは、国のトップつまり国王の仕事です。
ここではスサノヲを意図的に「悪しき国王」と表現しているとも解釈できます。

このような息子に、父親は「どうしてお前はそんな生活をしているのだ?」と尋ねます。
スサノヲは「母のところに行きたいから泣いているのです」と答えます。
これを聞いた父親は怒り狂い「出て行け!」と言ったと書かれています。

この親子の会話は、現代社会のあちこちに転がっていそうですよね。
ただ私が父親なら「なぜ母のところに行きたいのか?」と聞くと思います。
ところがイザナギは何も聞かないで息子を勘当するのです。

母親のイザナミは死んだことになっていますが、今風に考えれば「離婚」して余所に住んでいるということではないでしょうか。離婚の原因は、赤ん坊の首をはねてしまった時のように「簡単に切れるイザナギの性格」だったのではないでしょうか。

その横暴さにより息子からも見放され、イザナギは孤独な死を遂げることになったと思われます。それを裏付けるようにその後の消息として「淡海の多賀に坐すなり」のひと言で片づけられています。
日本人の祖先であるイザナギの末路の記述としては、余りにも素っ気なさ過ぎます。

 私はこの部分は、古事記編者の意図に反して『スサノヲの性格形成過程における幼児体験=父親が反面教師となっている』ことを記述してしまったと受け止めています。
つまりスサノヲは「父のようにはなりたくない」と、父譲りの横暴さや残虐性を受け継ぎながらもそれを表に出さない人物であったということです。

・・・つづく

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