神納峠(かんのうとうげ)【2】

神納峠(かんのうとうげ)

古事記おじさんのブログ-神納峠

この場所は、今は国道が通り交通量も多いのですが、意宇川が麓を流れる大丘陵地帯で、あちこちに古墳群のある、古代の中心地だったようです。

西5kmには黄泉比良坂(よもつひらさか)

古事記おじさんのブログ-黄泉比良坂

北東1kmには神魂(かもす)神社

古事記おじさんのブログ-神魂神社

更に1kmには八重垣(やえがき)神社

古事記おじさんのブログ-八重垣神社

意宇川に沿って南6kmには熊野大社

古事記おじさんのブログ-熊野大社

がありますから、古事記の時代にも交通の要だったと思われます。

ひょっとしたら、スサノヲの支配地「根の堅州国(ねのかたすくに)」は、この丘陵地帯だったかも知れません。

イザナミの墓と言われている場所は全国に沢山あるそうです。明治時代、宮内庁はその中でも可能性の高そうな場所を選んだそうです。

神納峠(かんのうとうげ)は中を見ることができませんから、雰囲気は分かりません。しかし回りから見た感じでは、丘の中腹で、中途半端な場所です。

これまで紹介しました他の三カ所は、全て山頂です。日本人の祖先であるイザナミを埋葬する場所は、やはり丘の中腹などではなく、一番高い所だったのではないでしょうか。

明治時代に宮内庁がここを立入禁止にしたのは、イザナミの埋葬地と称して、スサノヲの痕跡を隠そうとしたのではないでしょうか。
そんな疑問を感じさせる場所です。

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神納峠(かんのうとうげ)【2】 への6件のフィードバック

  1. 和平 明憲 のコメント:

    神魂神社って、如何にも古代の神社の姿ですね。
    ミステリー雑誌などは時々、買いますが、このような神社の写真を見たのは初めてですね。!(◎_◎;)
    いやぁー、勉強になります。(^-^)/
    ではでは!

  2. 古事記おじさん のコメント:

    >和平 明憲さん
    コメントありがとうございます。
    神魂神社は、最古の大社造り(国宝指定)でとてもミステリアスな神社です。
    参道の石段(というより岩段)も、古代を感じさせます。
    神魂と書いてカモスと読んでいますが、出雲風土記では古事記で最初に現れた三柱の独神(ひとりがみ)
    天之御中主(アメノミナカヌシ)
    高御産巣日(タカミムスヒ)
    神産巣日(カミムスヒ)
    の三番目に現れ、出雲の最高祖神とされる神産巣日(カミムスヒ)を神魂の字で表しています。
    神社の案内には
    「出雲国造の太祖アメノホヒが降り立ち創建」
    と書かれています。
    アメノホヒは、アマテラスとスサノヲの誓約(ウケヒ)で二番目に生まれた男神です。
    ところが現在の祭神はイザナミとイザナキになっており、本殿の千木(チギ)は、女神を表す形になっています。
    この建物が建てられた当時(1346年)は
    イザナミが主祭神だったのかもしれません。
    ところが、もっと古い時代にはスサノヲが祭神だったとの伝承もあります。
    神社の歴史には、時の権力により書き換えられている形跡が多々あります。
    この神社周辺には、熊野大社・八重垣神社・神納峠などがあるうえに古墳だらけです。
    今で言えば「永田町界隈」といった感じです。
    新たな「永田町」を奈良盆地に創りつつあったヤマト勢力にとって最も神経を使う地域だったのではないでしょうか。

  3. まいち のコメント:

    各地にあるイザナミのお墓についてですが
    日本書紀にある“紀伊の国熊野の有馬の村にかくしまつる”「花の窟神社」については
    どう思われますか?
    恥ずかしながら私はこちらしか知りませんでした。

  4. 古事記おじさん のコメント:

    失礼致しました。
    神産巣日のフリガナは(カミムスヒ)ではなく
    (カムムスヒ)です。

  5. 古事記おじさん のコメント:

    >まいちさん
    イザナミの墓所といわれる場所は全国にたくさんありますが、本物は誰にも分かりません。
    明治期に宮内庁が「可能性の高い場所」として
    いくつかを選定したようです。
    しかしその目的も選定基準も分かりません。
    それが分からなければ、出てきた答えの意味も曖昧になります。
    このブログはあくまでも『古事記』に基づいて古代ロマンを推理しています。
    ですから他の書物に紹介されている地域は敢えて取り上げていませんが、他地域を否定するものではありません。
    古事記の『謎解きを楽しむ材料を提供している』つもりです。
    実際に現地を訪れて、地形に接し、流れを見、風を感じ、自身で推理して頂きたいのです。
    「花の窟」に関しては、伊勢出身の友人と論争したことがあります。
    誰でも「ふるさと」が一番ですから、「こっちが本物」となります。
    結局最後まで平行線でしたが、互いに「それでいいじゃないか」ということになりました。
    古事記では「上巻」、日本書紀では「上代の上下」が有史以前ということになるのですが、その書き方も内容も随分違います。
    それに関して様々な見解がありますが、私はその論争に加わる気はありません。
    山陰には古事記の物語の展開に合致する場所や伝承が残されています。
    「八俣のオロチ」から「大国主の国譲」までは間違いなく山陰が現場で、古事記に記されている展開の、その後を伝える場所もたくさんあります。
    私はそれらを広く知って頂きたいのです。
    最後に、敢えて私観を主張しますと
    日本書紀は権力の正統性確立を目的とした官報で、歴史とは別と考えています。
    もちろん古事記も同様ですが、物語形式であるが故に、当時誰もが知っていた史実に関しては
    極端な改ざんはできなかったであろうと考えます。
    ですから古事記の方が、史実を含んでいる可能性が高いのではないでしょうか。

  6. まいち のコメント:

    >古事記おじさんさん
    なるほど!!
    日本書紀は官報。
    ご丁寧にありがとうございましたヘ(゚∀゚*)ノ

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