タケミカヅチは、抜き身を突き立てた状態で口上を述べます。
「俺は、アマテラスとタカギの神(タカミムスヒ)の命令により、お前の考えを聞いてこいと遣わされた。お前が支配するこの国は、アマテラスが自分の子供に統治させよと仰っているが、お前の考えはどうだ」
「お前」と書いている部分は「汝(なんじ)」の文字です。これは完全な上から目線の言葉です。
しかしこの談判の時点では、高天原と出雲の関係は、勝敗関係でも主従関係でもなかったはずです。
にもかかわらずこのような表現をしているのは、結果が分かっている後年に書かれたからでしょう。
アマテラスが「息子に統治させる」から、支配地をよこせと言って来た訳です。
何という横暴でしょうか!
北方四島に対するロシア、竹島に対する韓国、更には尖閣諸島に対する中国と同類です。
これに対する大国主の回答ですが、「私には答えられない。息子のコトシロヌシが答えます。ですが、美保の崎に漁に出かけてまだ帰っていない」です。
この大国主の言葉は、父親・王たるものではありません。
何という情けない言葉でしょうか!
一説には「コトシロヌシは祭祀に長けており、彼の占いの結果を待つための表現」というものがあります。しかし呼び戻されたコトシロヌシの答えを見ますと、そのような気配はありません。
この場面に関して、日本書紀には、大国主が「ふざけるな」と怒ったとの記述があります。
実は、ここで「抵抗した」と記録を残すのと、「即座に恭順の意を表した」と記録を残すのでは、『出雲国』のその後の扱いに大変な違いが生じるのです。