―「神話部分」を読む ― 大国主神 ④ 八十神の迫害 – 1 –
於是八上比賣答八十神言。
(ここに ヤカミ姫 ヤソガミに 答へけらく。)
そこでヤカミ姫はヤソ神に答えた。
この前に八十神の『聘(ツマドヒ=求婚)』があるべきだが、省略して(ヤガミ姫の)答えだけが書かれているのは言葉足らずの感が強い。
吾者不聞汝等之言。将嫁大穴牟遅神。
(あは、みましたちの ことは 聞かじ。オホナムヂの神に あはな と言ふ。)
「私は貴方たちには興味ありません。オホナムヂの神に嫁ぎます。」
故爾八十神怒。欲殺大穴牟遅神共議而。
(ここに ヤソガミ いかりて。オホナムヂの神を 殺さむと あひたばかりて。)
ということでヤソ神は腹を立て、オホナムヂの神を殺そうと相談して、
至伯伎國之手間山本云。
(ははきの国の テマの 山もとに 至りて 云ひけるは。)
伯耆の国のテマ山の麓に来た時に(オホナムヂに)言った。
伯伎國之手間=伯耆ノ国会見ノ郡天萬(てんまん)ノ郷があり、ここである。
出雲風土記の意宇ノ郡の段に「国の東の堺である手間の関に道が通じている」と書かれている。
古今和歌集に「八雲立つ出雲の国の手間の關、いかなるてまに君障るらむ、待てしばし人知り見むや我がせこを、留めかねてぞ手間と名づけし」がある。
国境であるから、伯耆とも出雲ともしているのだろう。
伯耆は古代出雲の一部で後に分離したようです。古事記編纂の頃は「伯耆」となっていたようですが、大穴牟遅が歩いていた頃はそのような地名は無かったはずです。
赤猪在比山。故和禮共追下者。汝待取。
(この山に 赤き 猪(い) あるなり。かれ われども 追ひ下りなば。いまし待ちとれ。)
「この山に赤猪がいる。俺達が下に追い立てるから、お前はここで待ち伏せて捕まえろ。」
追ひ下りなば=八十神が猪を追って下ってくるから
いまし待ちとれ=山の下にいて、待ち構えていて捕らえろ
出雲風土記の意宇郡宍道の郷に『猪を追った犬の像』が記されているが、手間とは随分離れており別の話であろう。或いは同じことを別な形で伝えたのであろう。
若不待取者。必将殺汝云而。
(もし待ちとらずは。かならず いましを 殺さむ と云ひて。)
もし捕まえなければ、必ずお前を殺すと言って、
以火焼似猪大石而。轉落。
(猪(い) に似たる 大石を、火もちて焼きて。まろばし落としき。)
猪のような形をした大石を火で真っ赤に焼いて、転がし落とした。
爾追下。取時。即於其石所焼著而死。
(かれ 追ひ下り。とる時に。その石に 焼きつかえて みうせ給ひき。)
(オホナムヂが)転がって来た石を捕まえた時、火傷を負って死んでしまった。
爾其御祖命哭患而。
参上于天。請神産巣日之命時。
(ここに その みおやの みこと なきうれひて。
あめに まいのぼりて。カミムスビのみことに まをし給ふ時に。)
それを知った母親は泣き悲しみ、
天上界に行きカミムスビの命に経緯を話すと、
御祖命(みおやのみこと)=大穴牟遅の神の母親であるから刺國若賣(さしくにわかひめ)。古事記の中で『御祖』と書かれているのは全て『母親』。
父が親であるのは当然だが、子供は母親のところで成長するから父親より親密であり、わざわざ『御祖』となっている場合はまず母を指している。
乃遺𧏛貝比賣興蛤貝比賣。
令作活。
(すなはち キサガヒ姫と ウムギ姫とを おこせて。
つくり いかさしめ 給ふ。)
(カムムスビの命は、娘の)キサガヒ姫とウムギ姫を看病・蘇生に行かせた。
遺(おこせて)=あちらからこちらへ遺(おこ)す=移動させる
ここでは「行かせて」とか「遣わせて」
作(つくり)=繕治(つくろいをさむる)という意味。
爾𧏛貝比賣岐佐宜集而。
蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。
(かれ キサガヒ姫 きさげ こがして。
ウムギ姫 水をもちて。おもの ちしると 塗りしかば。)
そこでキサガヒ姫は赤貝の貝殻を削って焼き、
ウムギ姫は(蛤の)ぬめりのある液でそれを練り、母乳のように患部に塗ると、
岐佐宜(きさげ)=研(きしら)し削(けづ)り。「物をコソゲル」と云うのはこの言葉が訛ったもの。
集(こがし)=赤貝の貝殻を擦り削って焼き焦がすということ。
持水而(みずをもちて)=蛤は中に(ぬめりのある)水を含んでいる
乳汁(ちしる)=乳(ち)は出る所の名で出る汁を意味せず、乳汁とすることによって母乳となる。
昔から傷に母乳を塗る治療法があり、古代でもそのようにしていたであろうということであろう。
つまり赤貝の焼き焦がした貝殻の粉を蛤のぬめり水で溶いて、母乳を塗るように塗ったのである。
「赤貝の粉を水で溶いた」とか「母乳で溶いた」などの解釈がありますが、全くの間違いということになります。
成麗壮夫而出遊行。
(うるはしき をとこに なりて いであるきき。)
(オホナムヂは)全快し元気になって歩けるようになった。
麗(うるはしき)=火傷の肌が元の様に治ったという意味を含んでいる。
壮夫(おとこ)=若くて盛んな年頃で、少年ではなく大人の男。
・・・つづく
※注:
青字 … 本居宣長『古事記伝』より
赤字 … 古事記おじさんの見解です。