古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【76】

―「神話部分」を読む ― 須佐之男命の大蛇退治 ⑥

故其櫛名田比賣以久美度邇起而
(かれ、その くしなだひめをもちて くみどに おこして。)

所生神名八嶋士奴美神。
うみませる 神の名は やしまじぬみのかみ といふ。)

そこでクシナダヒメとの間にできた神の名は、ヤシマジヌミの神という。

士奴美(じぬみ)=尊称。
この神に尊称を使用しているのは、後に大国主命が国造りをして天下を支配した時に、支配者の先祖であるからだろう。そうでなければ尊称を使うはずがない。

宣長は、ここで大国主命が出雲地方ではなく天下の支配者だったと認めています。

大山津見神之名神大市比賣。
(また、おほやまつみの神 のむすめ 名は かむおほいちひめに みあひて。)

子大年神。次宇迦之御魂神。
(みこ おほとしの神。次に、うかのみたまの神を うみましき。)

また(スサノヲが)オホヤマツミの神の娘の、カムオホイチ姫を妻として生んだ子は、オホトシの神、次にウカノミタマの神である。

神大市比賣の「神」は尊称。
大市は大和・三河・播磨・備中・伊勢にあり、どこかに関係しているのだろう。
大年神 =「大」は尊称。「年」の語源は田寄(タヨシ)で、「タヨ」が縮まって「ト」となり「トシ」と発音するようになった。
「田寄」とは田から寄せられる物で「穀(タナツモノ)」を意味する。
「タヨシ」→「トシ」=「登志」=「穀物」で、穀物を一回取り収めることを「一年(ひととせ)」という。だから「トシ」という名は、「穀物」が元で年月の「トシ」は後に生じたものである。
以上によりこの神は、穀物(収穫)に大貢献したからこのように名付けられた。
各地に大年神社がある。この神を祀るものもあるが、各地域で収穫に貢献した神にこの名を付けたものもあるだろう。
宇迦之御魂神=「宇迦」は「食(うけ)」で、食物に関して大貢献を果たした神。

兄八嶋士奴美神。大山津見神之女名木花知流比賣子。
布波能母遅久奴須奴神。
(御兄ヤシマジヌミの神。オホヤマツミの神の御娘、名はコノハナチル姫にみあひて生みませる御子。
フハノモヂクヌスヌの神。)

「木花知流」 神の名は美称が常なのに、「花知流」とはどういう意味なのだろう。
若くして亡くなったので惜しんで付けたのかもしれない。

此神淤迦美神之女名日河比賣子。
深淵之水夜禮花神。
(この神オカミの神の娘、名はヒカハ姫にみあひて生みませる御子。
フカブチノミズヤレハナの神。)

「日河」は地名だろうか。武蔵の国足立郡に氷川神社、入間郡に中氷川神社がある。出雲の肥の河ではない。

「深淵之水夜禮花神」 土佐国香美郡に深淵という地名がある。

此神天之都度閇知泥神子。
淤美豆奴神。
(この神アメノツドヘチネの神にみあひて生みませる御子。
オミズヌの神。)

この神だけ父の名が無いのはなぜか?
これは父の名で、そのあとに「の娘名は○○」が脱落したのであろう。

「淤美豆奴」 は、大水主(おほみずぬし)の意味であろう。
風土記に「八束水」とあるが、「美豆」も「水」であろう。
淤迦美の神の娘「日河比賣」、その子の「深淵之水夜禮花神」、更にその子であるこの神まで、皆「水」に関連している名である。
これには何か理由があるのだろうか。
或いは「美豆」は別の意味があるのだろうか?

出雲風土記の意宇の郡の段に、八束水臣津野(ヤツカミズオミズヌ)の命の国引きの仔細が書かれており、この神が大きな功績を遺したことが分かる。
それにもかかわらず彼を祀る神社が無いのは、どういう理由なのだろう。

此神布怒豆怒神之女名布帝耳神子。
天之冬衣神。
(この神フヌヅヌの神の娘、名はフテミミの神にみあひて生みませる御子。
アメノフユキヌの神。)

「天之冬衣神」 日本書紀に「スサノヲが、天上界への草薙の剣奉納に、五世の孫アメノフユキヌを派遣した」とあり、これと同神であろう。

此神刺國大神之女名刺國若比賣子。
大國主神。
(この神サシクニオホノ神の娘、名はサシクニワカ姫にみあひて生みませる御子。
オホクニヌシの神)

「刺國大神」 「大神」となっているが、この神に大きな尊敬を払う実績は無く、一般に言う「大神」ではない。だから「オホノカミ」と読むべきである。

「大國主神」 あとでスサノヲ大神が名付けたと書かれている。

亦名謂大穴牟遅神。
亦名謂葦原色許男神。
亦名謂八千矛神。
亦名謂宇都志國玉神。
辡有五名。
(またの名は、オホナムヂの神とまをし。
またの名は、アシハラノシコヲの神とまをし。
またの名は、ヤチホコの神とまをし。
またの名は、ウツシクニタマの神とまをす。
あわせて、いつつ名あり。)

「葦原色許男神」「色許」は「醜」で多くは悪い意味だがここでは勇猛を称える意味で、勇猛果敢な強者を「鬼神の如し」と表現するようなものである。
「葦原」は国つ神の世界で、彼がそこ(天の下)を支配していたからである。

ここでも彼が地上界の支配者であったことを述べています。

この国を「葦原の中国」と言うのは天上界からの呼称であるから、この神の名も元々は天つ神が言い始めた名である。

宣長は、天つ神が自分達が支配しようとする地域を「葦原中国」と名付け、そこの支配者を「葦原色許男」と呼んだと説明しています。
つまり天つ神=高天原族が来る前に、「葦原中国」に支配者がいたと説明しているのです。

・・・つづく

※注:
青字 … 本居宣長『古事記伝』より
赤字 … 古事記おじさんの見解です。

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