古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【39】

―「神話部分」を読む ― 黄泉の国 ④

さて、待ちきれなくなったイザナギが、灯りをともして見たものとは・・・

蛆(うじ)たかれ斗呂呂岐弓(とろろぎて)、
頭(みかしら)には大雷(おほいかづち)居(を)り、
胸(みむね)には火雷(ほのいかづち)居り、
腹(みはら)には黒雷(くろいかづち)居り、
陰(みほと)には拆雷(さくいかづち)居り、
左の手(みて)には若雷(わきいかづち)居り、
右(みぎり)の手(みて)には土雷(つちいかづち)居り、
左の足(みあし)には鳴雷(なるいかづち)居り、
右(みぎり)の足(みあし)には伏雷(ふしいかづち)居り、
あはせて八柱(やくさ)の雷神(いかづちがみ)成り居りき。

(イザナギが)目にしたのは、
腐乱した遺体の表面を覆う膿の中をおびただしい数のうじ虫がうごめいており、
頭にはオオイカヅチ、胸にはホノイカヅチ、
腹にはクロイカヅチ、性器にはサクイカヅチ、
左手にはワキイカヅチ、右手にはツチイカヅチ、
左足にはナルイカヅチ、右足にはフシイカヅチが取り付いている状態だった。
(イザナミの遺体から)全部で八柱の雷神が現れていた。

多くの本が、蛆たかれ「斗呂呂岐弓」の部分を「ころろきて」としています。

原文は「宇士多加禮斗呂呂岐弓」ですが、一部の本では「許呂呂岐弓」と書かれているようです。
「斗」は「こ」とは発音しませんが「許」なら「こ」です。

「斗呂呂岐弓」の意味は「とろけさす」で、「許呂呂岐弓」となると不明になるようです。

そこで「ころろきて」を使用している本では、その意味を
「ウジ虫が集まり声がむせびふさがって」とか、
「ころころと音を立てて」と、実際には理解できない注を付けています。
そのため現代語訳は
「女神の身体には蛆虫がたかり、ごろごろと鳴って」
と、読む者が理解に苦しむ表現になっています。

私は動物の死骸にうじ虫がたかっているのを見たことがありますが、「ころころ」などという音は聞こえません。
見た感じで「むにゅむにゅ」と音を立てているような感じでした。
宣長は、日本書紀の「膿沸(うなわき)虫流(うじたかる)」(=化膿した部分にたくさんのうじ虫が取り付いている状態)を例に上げて、きわめて現実的な描写だとしています。

・・・つづく

カテゴリー: 古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』, 連載を読む タグ: , , , , パーマリンク

古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【39】 への2件のフィードバック

  1. のコメント:

    参考になります

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。