古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【65】

―「神話部分」を読む ― 天照大神と須佐之男命 ⑩ 天の石屋戸 – 5 –

天香山之五百津眞賢木矣根許士爾許士而。
(あめのかぐやまの いほつ まさかきを ねこじに こじて。)

アメノカグヤマのよく枝の茂ったサカキを根ごと掘り起こして、

於上枝取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉。
(ほつえに やさかのまがたまの いほつのみすまるのたまを とりつけ。)

上の枝に勾玉を貫いて作った玉の緒を懸け、

於中枝取繋八尺鏡。
(なかつえだに やたかがみを とりかけ。)

中枝にヤタの鏡を取り懸け、

於下枝取垂白丹寸手靑丹寸手而。
(しづえに しらにぎて あをにぎてを とりしでて。)

下枝に木綿と麻の糸を垂らし、
宣長は織った布ではなく糸だとしています。

此種種物者。
(この くさぐさの ものは。)

これらの物は、

布刀玉命布刀御幣登取持而。
(ふとたまのみこと ふとみてぐら ととり もたして。)

フトタマとフトミテグラが捧げ持って、
布刀御幣=布刀は尊称。御幣→美弓(みて)久良(くら)。美弓→御手。
久良→古代神への献上物や人への贈り物を久良といったようだ。

フトミテグラとは、献上物を持つ者として付けられた名のようです。

天兒屋命布刀詔刀言禱白而。
(あめのこやねのみこと ふと のりとごと ねぎ まをして。)
アメノコヤネが祝詞を唱えて称え(アマテラスが出てくることを)願い、

詔刀言(のりとごと)→祝詞の始まり。
禱(ねぎ)白而(まをして)→禰宜(神に奉仕し乞い願う者)の始まり。

天手力男神隠立戸掖而。
(あめのたぢからをのかみ みとのわきにかくりたたして。)

タヂカラヲが建物の脇に隠れて立って、

天宇受賣命手次繋天香山之天之日影而。
(あめのうづめのみこと あめのかぐやまの あめのひかげを たすきにかけて。)

アメノウヅメが、アメノカグヤマの日影葛をたすきにかけ、

爲鬘天之眞坼而。
(あめのまさきを かづらとして。)

マサキを髪飾りにして
日影(ひかげ)も眞坼(まさき)も山に生えている蔓(かずら)のようなつる性の植物のようです。

手草結天香山之小竹葉而。
(あめのかぐやまの ささばを たぐさにゆひて。)

アメノカグヤマの笹の葉を束ねて持ち

於天之石屋戸伏汗氣而。
(あめのいはやどに うけふせて。)

建物の前に桶を伏せて置き

蹈登杼呂許志爲神懸而。
(ふみとどろこし かむがかりして。)

これを踏み鳴らし、陶酔状態になって
この神懸(かむがかり)は、物に憑かれて正常心を失った状態で理解不能なことを言って俳優(わざをき=物まねや歌舞をして神を慰め人を楽しませること)すること。

掛出胸乳裳緒忍垂於番登也。
(むなぢをかきいで もひもを ほとに おしたれき。)

胸乳を(手で)かき出して、裳のひもを陰部まで押し下げた
胸乳としているのは、乳だけでは人間の乳かどうかわからないから胸を付けている。女性は乳を見られるのが恥ずかしくて隠すものだが、わざわざ掻き出して見せるということは、正気を失って狂乱した状態ということだ。裳のひもをずらすのもそのような状態になっていることを分からせようとの趣旨。

爾高天原動而八百萬神共咲。
(かれ たかあまはら ゆすりて やほよろづのかみ ともにわらひき。)

これを見た全員の歓喜の声が、高天原に鳴り響いた。

出雲阿国を女優の祖とする説がありますが、元祖はウヅメです。
根本的な違いは、ウヅメが無償で俳優(わざをき)したのに対して、御国は営利目的です。女優は職業ですから、その意味では阿国が祖ということになります。

・・・つづく

※注:
青字 … 本居宣長『古事記伝』より
赤字 … 古事記おじさんの見解です。

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