―「神話部分」を読む ― 黄泉の国 ⑧
また、黄泉比良坂の近くに実家がある友人に聞いたところ、子供の頃お爺さんから、
「山で遊ぶ時にはあちらには行くな」と、山中の西方を指さして強く言われていたそうです。
当時その方向は木が鬱蒼と繁っており、子供心に不気味な感じだったそうです。
大人になってから考えてみると、山中の西方の茂みは斜面で、それを越えると平地に出るそうです。
その平地は農地や団地がある普通の光景で、お爺さんが「行くな」と言った理由が分からないとのことでした。
これを聞いた私は、すぐにピンときました。
画像をご覧下さい。
これはフラッドマップの航空写真で、海面を現在より7m上昇させたものです。
上の青い部分は海です。
色々調べますと、古事記神話の時代は、今より海面が高かったようなのです。
おそらく写真の海岸線に近い状態だったのではないでしょうか。
(出雲国風土記の記述からも、書かれた頃(733年完成)海面が高かった状態が分かります)
右の方に松江市立揖屋小、その下に青に白抜きで324の県道マーク(黄色の丸)がありますが、そのマークと「揖」の字の間あたりが黄泉比良坂です。
黄泉比良坂から真西に、「島根県立八雲立つ風土記の丘」があります。
この資料館は松江市南部の小高い丘に位置するのですが、丘全体が古墳群のような地です。
更に、すぐ近くにアメノホヒ降臨を発祥とする神魂(かもす)神社や、スサノヲがイナタ姫を八重垣に匿ったとの伝承による八重垣神社があります。
「島根県立八雲立つ風土記の丘」の字の右下にガソリンスタンドマーク(黄色の丸)があります。
そのマークの道を挟んだ下が、「イザナギを追いかけたイザナミが、自ら魂を納めた地」と伝えられる神納(かんのう)峠です。
つまり「イザナミの墓」ということですが、明治時代から宮内庁の立ち入り禁止の看板が建てられています。
ガソリンスタンドマークのすぐ右やや上に左側が細く右側が幅広な緑(山)があります。
この山頂には剣(つるぎ)神社があるのですが、ここには先に説明しました、
『かれ御佩(みはか)せる十拳劔(とつかのつるぎ)を抜きて、後手(しりへで)に振(ふ)きつつ逃げ来(ませ)る』場面の、現場伝承があります。
現在は独立した小山状態ですが、元々は風土記の丘から半島のように突き出した部分でした。
ガソリンスタンドの右側の帯状に見える部分は南の熊野大社から流れる意宇(おう)川です。
現在は風土記の丘右側を北上し、ガソリンスタンドを越えてから左に曲がって大きく右に向かっています。(白の点線)
ところが昔の意宇川は、剣神社がある突き出した部分の右に大きく蛇行して流れていたのだそうです。(黄色の点線)
航空写真で見れば分かりますが、雨乞山の字の左辺りから突き出し部分に向かい、右側の山に沿って左へ流れるのが自然です。
ところがその状態ですと、突き出し部分手前から右側一帯は、大雨が降ると水没する活用不適格地だったのです。
いつの時代かは聞き忘れましたが、現在の流れになるように突き出した根本を切り通したのだそうです。
この工事により、イザナギが黄泉軍(よもついくさ)を後ろ手に切り払った場所が孤立状態となり、記述の流れが感じられなくなってしまったのです。
写真を見れば、そこから真東に進めば黄泉比良坂に行き着くことが分かります。
以上から考えますと、イザナギがいた黄泉の国は、風土記の丘辺りと考えることができます。
先の友人のお爺さんの話に戻りますが、黄泉比良坂地方で「西へ行くな」と言われていた理由は、
「西方に黄泉の国がある」との伝承によるものだったのではないでしょうか。
風土記の丘一帯は、考古学的にも神話的にも、何かと材料の多い場所なのです。
・・・つづく