古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【41】

―「神話部分」を読む ― 黄泉の国 ⑥

且(また)後(のち)には、かの八(や)柱(くさ)の雷神(いかづちがみ)に、
千五百(ちいほ)の黄泉(よもつ)軍(いくさ)を副(そ)へて追はしめき。

(イザナミは醜女たちの)あとに、(イザナミに取り付いていた)八柱のイカヅチガミに、
千五百の黄泉の兵士を従わせて追わせた。

かれ御佩(みはか)せる十拳劔(とつかのつるぎ)を抜きて、
後手(しりへで)に振(ふ)きつつ逃げ来(ませ)るを、
なほ追ひて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、
その坂本にある桃子(もものみ)三箇(みつ)を取りて、
待ち撃ちたまひしかば、
悉(ことごと)に、逃げ返りき。

(そこでイザナギは)身に付けていた立派な剣を抜いて、
後ろ手に振り払いながら逃げたのだが、
しつこく追いかけてきて黄泉比良坂のふもとにやってきた時、
(イザナギは)そこになっていたヤマモモの実を三個取って
待ちかまえて投げつけたところ、
(黄泉の軍勢は)みんな逃げ帰った。

ここに伊邪那岐の命、桃子(もも)に告(の)りたまはく、
「汝(いまし)、吾(あ)を助けしが如(ごと)、
葦原中国(あしはらのなかつくに)にあらゆる現(うつ)しき青人草(あおひとくさ)の、
苦(う)き瀬に落ちて患(くるしま)む時に、助けよ」
と告(の)りたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみの)命と號(い)ふ名をたまひき。

そこでイザナギがその桃に
「お前が私を助けたように、
この国で生きる全ての者が
苦境に立たされた時に助けろ」
と言って、オホカムヅミノミコトという名を与えた。

ここで初めて「葦原中国」が登場します。
これに関して宣長は
「葦原中国」とはこの国の名前のことで、アマテラス達天ツ神の時代に高天原から云われたものである。
ただ単に葦の原っぱの中にある国という意味で、中国人の中華思想と同様の意味付けではない。また葦原中国を九州とする説は、大和地方を高天原と誤解している者達のこじつけである」

と、わざわざ解説しています。

・・・つづく

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