古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【14】

―「神話部分」を読む ― ①

古事記神話部分は、以下のように始まります。

「天地(あめつち)初めて撥(ひら)けし時、
高天(たかま)の原に成れる神の名は、
天之御中主(あめのみなかぬしの)神。
次に高御産巣日(たかみむすひの)神。
次に神産巣日(かみむすひの)神。
この三柱(みはしら)の神は、
みな独神(ひとりがみ)と成りまして、
身を隠したまひき」

これを現代文にすれば

<自然界が最初にできた時、
高天の原という所に現れたのはアメノ・ミナカヌシの神。
次にタカミ・ムスヒの神。
次にカミ・ムスヒの神であった。
この三人はパートナーを持たない神で、
姿もない>

これまで出版された現代語訳は、冒頭の『天地』の部分を
「天と地」つまり「空」と「大地」と解釈しています。
しかしこの解釈では「天と地ができた時」ということですから、「大地」もできていることになります。
ところが後に続く文章に、まだ「大地」はできあがってはいないと書かれているのです。
ですから私は『自然界』と書きました。
でも厳密には『空=空気』と『海=水』に別れた頃の方が適切ではないかと考えています。

続く文章は以下です。

「国稚(わか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、
海月(くらげ)なす漂える時、
葦牙(あしかび)の如く萌(も)え騰(あが)る物によりて成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神。
次に天之常立(あめのとこたちの)神。
この二柱(ふたはしら)の神もまた、独神(ひとりがみ)と成りまして、
身を隠したまひき」

現代文にすれば

<国(=大地)がまだ固まらないで水に浮かぶ脂のような状態で、
クラゲのように漂っていた時に、
葦の若芽が成長するような勢いの中から生まれたのが、
ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神。
次にアメノ・トコタチの神であった。
この二人もパートナーを持たない神で、
姿もなかった>

ここの冒頭で、「大地」ができていない頃だと明記しているのです。
そのような状況の頃に、まず三人、そして次に二人の神が『高天の原』に現れたと書いてあります。
とろがこの『高天の原』がどこであるかの説明はありません。
「大地」はできていないのですから、いわゆる地上ではないはずです。
では「空中」なのか?ということになります。

ヒントは「身を隠したまひき」にあると思います。
姿形がないのですから、どこにでも存在できるということです。

ですからこの五人の神を

「上(かみ)の件(くだり)の神は、別天(ことあま)つ神」

 <以上五人の神は、天の神のなかでも別格の神である>

と特記しているのです。

・・・つづく

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古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【14】 への2件のフィードバック

  1. 田中敏久 のコメント:

    今後も宜しくお願いします?✨

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