ナガスネヒコ≪その一≫
このシリーズの最後として、ナガスネヒコをご紹介します。
実は、彼が登場するのは中巻(なかつまき)・神武天皇の項ですから、神話部分ではありません。したがって彼は神ではなく、歴史上の人物ということになります。
とは言っても初代天皇神武から十代崇神(すじん)までは実在しなかったという説もありますから、神話部分に入れてもいいのかもしれません。(崇神天皇に関しては、実在説もあります)
ナガスネヒコは、神武東遷部分で登美(とみ・現在の奈良)の強敵として扱われています。
ナガスネヒコ軍は、神武軍の第一次攻撃を跳ね返し、司令官であった神武の兄に深手を負わせて戦死させます。
古事記には、「神武軍が、それまで経験したことのない苦戦を強いられた」と読みとれる表現がありますが、そのひとつが、ナガスネヒコに対し「賤(いや)しき奴」と最大級の蔑称を使っている点です。
これは高天原族の「上から目線表現」ですが、後の世に「勝者の証」として書いているにもかかわらずこのような表現をしているということは、古事記編纂の時代(600~700年代)になっても「怒りと恐怖」が収まってはいなかったことを感じさせます。
しかし同時に「このように書いても、もはや抵抗する力はない」とのあなどりも感じさせます。
最終的に奈良盆地は征服されて高天原族の本拠地になるのですが、ナガスネヒコ族を中心とする部族の抵抗はそれほどに激しかったようなのです。
必然的に、神武の戦い方は「王者の戦闘」ではなく、「なりふり構わずどのような汚い手でも使う」ものになったのでしょう。ですから勝っても安心できず、奈良盆地の部族を「根絶やし」にしたと考えられます。
「久米歌」からそれが読みとれます。
「根絶やし」にしなければ安心できなかったということを「根絶やしにされた側」の立場になって考えてみると、奈良盆地は「殺されても守り抜きたい」素晴らしい「地域」であり、「そのような地域を創り上げてきた誇り」から「他部族の暴力による支配に屈服しない」ということだったのではないでしょうか。
高天原族(神武)は、戦いを通じて奈良地方の部族達が「表面的に服従しても、いつか反撃に立ち上がる」と感じ取り、復讐・反撃の芽を摘むために、「根絶やし」作戦をとったと考えられます。
このような地域にまとめ上げていたのが、ナガスネヒコだったようです。
・・・つづく