もしも古事記の神々が人間だったら・・・【36】

神武東遷 ≪その四・完結編≫

神武東遷により、国譲りでは未完状態だった『高天原勢力による西日本制圧』が一応完成形となります。
日本書紀では、橿原宮で神武が即位したのは紀元前660年となっていますが、これまでいろいろなところで何度か述べましたように、スサノヲ・アマテラス時代が紀元前100~紀元300頃のどこかとしますと、実際には紀元300年代の後半頃だったのではないでしょうか。
これは古代天皇の年齢修正でも計算が合います。
初代神武から十六代仁徳天皇の間で、「?」付きではありますが一応分かっているだけでも百歳以上が12人もいます。

初代 神武127歳・五代 孝昭114歳・六代 孝安137歳・七代 孝霊128歳・
八代 孝元116歳・九代 開化111歳・十代 崇神119歳・十一代 垂仁139歳・
十二代 景行143歳・十三代 成務107歳・十五代 応神111歳・十六代 仁徳143歳
12人の平均は約125歳です。

寿命の短い古代ですから、仮に彼らの平均年齢を40歳とすると、単純に85×12=1020年の余分が生じます。
紀元前660年を1020年分修正すると、紀元360年です。あくまでも単純な計算ですが、百歳以上を修正するだけでも神武即位は紀元360年ということになり、上に述べた300年代後半と一致するのです。

300年代後半、西日本は、奈良盆地を拠点とする高天原勢力が支配するようになったのでしょう。
でも全ての部族が従った訳ではなかったようです。
暴力による支配に、表面上は服従しているが内心では反発している部族が多くいたようです。
彼らが求めたのは出雲勢力の再興だったと思われます。
高天原勢力としては、そのような不満分子を抑えるために「出雲をないがしろにしてはいない」との姿勢を見せなければならなかったのではないでしょうか。
そのような状況により、「神事で重要な役割を担わせる」ことで、出雲勢力に『権威』を与えたと考えられます。
江戸時代、京都の朝廷には『権威』だけを残し『権力』は江戸幕府が握ったのと同じ構図です。
これは、高天原勢力にとっての最大の脅威が出雲勢力だったことを意味しています。
とはいえ当時としては最強の高天原勢力でしたから、あの手この手で不満分子を押さえ込み、700年代後半から本格的に東日本の制圧に動き始めます。
当時の日本の正統な支配家筋の証としての古事記・日本書紀を完成させたのが700年代前半ですから、西日本の反政府勢力を納得させるのに数十年が必要だったということです。

―神武東遷 完―

連載はまだまだ・・・つづく

※次回1月5日は休みます。
 次の更新は1月20日の予定です。

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