「国譲り」とは何だったのか【7】

これにより、各地の自然や部族の祖先が『宗教的行為』の対象となり、後に言う『祖神』になったと考えられます。

天津神とか国津神は、出雲の国譲りで古事記が勝者と敗者に勝手に付けた名前です。

問題は『八百万の神々』です。
十把一絡げで個々の名前は紹介されていませんから、「各地の部族の祖神がそれだよ」と言われれば悪い気はしません。

古事記は、高天原での主導的立場の神名は明記しており、八百万の神々は会議に出席しているがその配下にあるとの関係を暗示しています。

今風に言えば、経営会議に出席している社員のようなものです。発言でき、それを尊重されるが、主導権は経営者にあるという関係です。

古事記が、『各部族の祖神』が『ヤマト権力の祖神』とその様な関係だと記しているのですから、『現各部族』が『現ヤマト権力』と同様な関係であっても、論理的に矛盾しないということになります。

古事記は各地の伝承を吸い上げて『文字』で記した『最初の公の書』ですから、これがその後の基準になります。つまり、古事記に記されている歴史以外はないということで『確定』させてしまった訳です。

前回でも触れましたが、古事記編纂1300年は、この『確定』以前の状態を考えるきっかけです。

書物としては『記紀』以外にないのですが、「事件は現場で起きた」のですから、『現場』で情報を探すしかありません。

その現場が、『古代出雲王国』エリアなのです。

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