もし「木国(きのくに)」が島根県東部から鳥取県西部の山中だったとすれば、スサノヲの「根の堅州国」までは直線距離で約40キロですから、普通に歩いて1日の距離です。
山間地から海へ向かっての下り坂ですから、必死に走れば3~4時間です。
この距離ならなんとか刺客に捕まらないで辿り着けるのではないでしょうか。
さてオオナムチがスサノヲの館に着くと、娘のスセリ姫が応対するのですが、彼女はオオナムチに一目惚れし深い関係になってしまいます。今風に言えば「互いに感じて、やっちゃった」ということでしょうか。
そのあとで館に引き返して「いと麗しき神来ましつ=とても立派(素敵)な神様(方)がいらっしゃいました」と父親であるスサノヲに告げます。
ここの記述は、スセリ姫が極めて積極的な女性であることを強調しています。
古事記では「天地の初め」の神生みで、イザナミが積極的であったために、最初に生まれた子供を水蛭子(ひるこ)として流したと記しています。
つまり女性が積極的であることは「良くない」こととしています。
ですからここでスセリ姫を「積極的な女性」として紹介することにより、暗に彼女を「良くない女性」として登場させたと思われます。
このような表現は、このあとにも現れます。
なぜかしら、古事記はスセリ姫を「悪い女」として印象づけようとしているように思えてなりません。
…つづく
この辺りの話はあまり聞いた事が無いので、興味ありますね。
今でも積極的な女性は敬遠されるケースがありますが、やはりお淑やかが女性らしいと言う観念があるようですね。
ではでは!
>和平 明憲さん
コメントありがとうございます。
古代には、女性に対して「しとやかさ」を求めることはなかったと思われます。
古事記が書かれた700年代も同様だったのではないかと考えています。
いま我々が目にするのは、本居宣長の古事記伝が下地になっているはずですから、彼がそのような解釈をしたのではないかと疑っています。
古事記の原本と、我々が見ることのできるものがどのように異なるのかが分かると面白いのですが・・・
では次回もお楽しみに