―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ⑦
次に水の底に滌(すす)ぐ時に、成りませる神の名は、
(6)底津綿津見(そこつわたつみの)神。次に
(7)底筒之男(そこつつのをの)神。
中に滌(すす)ぐ時に、成りませる神の名は、
(8)中津綿津見(なかつわたつみの)神。次に
(9)中筒之男(なかつつのをの)神。
水の上に滌(すす)ぐ時に、成りませる神の名は、
(10)上津綿津見(うはつわたつみの)神。次に
(11)上筒之男(うはつつのをの)神。
まず水底まで潜り、そこで清めたようです。
体は浮き上がりますから、
中ほどでも清め、水面近くでも清めたということのようです。
そのポイントポイントで底・中・上の綿津見神、即ち海の神を紹介しています。
この神の登場により、
「小門が注いでいた場所は、湖ではなく海」ということになります。
同じ状況で、筒之男(つつのをの)神が登場します。
宣長はこの神の「筒」は「都知」の意味で、
ノヅチやタケミカヅチの「ツチ」と同様だとしています。
近年の本には、「筒」は「星」の当て字であって、
オリオン座の中央にある星を指しており、
航海を司る神との説があります。
また「筒之男」は「津の男」の意味で、
船の停泊するところを意味するとの説もあります。
これは明治以後の発想のようで、宣長はそのような解釈はしていません。
この三柱の綿津見の神は、
安曇連(あづみのむらじ)等の祖紳(おやがみ)と
以伊都久(もちいつく)神なり。
故(かれ)安曇連(あづみのむらじ)等は、その綿津見の神の子、
宇都志日金折(うつしひがなさくの)命の子孫(すえ)なり。
この三柱の綿津見の神は、
安曇連(あづみのむらじ)らの祖先神として
あがめ祭っている神である。
彼らは、綿津見の神の子である、
宇都志日金折(うつしひがなさくの)命の子孫だからである。
宣長は、この三神は、筑前の國糟屋の郡(こほり)志加の海(わたつみ)の神の社(やしろ)の三神である。
また安曇は氏姓で、「連」は「群主(むらじ)」つまりその群れの中の主(うし)の意味であろうと解説しています。
その底筒之男(そこつつのをの)命、
中筒之男(なかつつのをの)命、
上筒之男(うはつつのをの)命の三柱の神は、
墨江(すみのえ)の三前(みまへ)の大神なり。
墨江は摂津の國の住吉のことである。日本書紀の神功皇后の記述部分に書いてある。
・・・つづく
コラムの再開うれしく思っています。
無理をせず長く続けてください。
墨江大神の尊さがピンと来ませんが、仲哀天皇を祟り殺す因果がここから始まった訳ですから、息長帯姫(この名はアマですよね)と安曇野の連に暗殺されたことを記録したのでしょうか? 海比古(天皇の祖先)が山比古(海蔟)を殺し、昔の仇をうち、政権を取り返したことを記録したようにも思います。
山比古(天皇の祖先)ですね、逆に書いていました。
24(ニッシー)さん、コメントありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
古事記は、宣長が「古事記伝」を出版するまでは、一部の専門家が知るだけの書物でした。
当時も日本書紀や他の書物の内容との比較検討をする者はいたようです。
でも極めて少数の専門家の間でだけ行われていたようですから、
仰っているような情報を持つ者は皆無に近かったはずです。
ここまで各地の部族の祖神が紹介されますが、
宣長はそれらを『江戸時代の人』に解説しているだけで、
歴史的に語られている事と古事記の内容を結びつける作業はしてはいません。
古事記が祖神を紹介しているのは、『歴史書として各部族の承認を得るため』であって、
「各部族の歴史を記録する目的ではなかった」と思います。
ですが「ストーリー展開の中に、歴史の片鱗を垣間見せてもいる」とも思っています。