もしも古事記の神々が人間だったら・・・【28】

≪アジスキタカヒコネII≫

出雲国風土記には更に、仁多郡(にたのこほり)の三澤郷(みざはのさと)の地名由来にアジスキタカヒコネが登場します。

以下に現代語訳をご紹介します

『大国主命の子供のアジスキタカヒコは、ヒゲが胸の辺りまで伸びる歳まで昼夜泣き続けで、耳も聞こえず話すこともできなかった。父親はその子を船遊びに連れ出して慰めたが泣きやまなかった。
 大国主命は「子供が泣く理由を教えて欲しい」と夢でお告げがあることを願った。ある夜、子供と話せた夢を見たので、目覚めた時に聞くと「みざわ」と答えた。
「どこをそのように言うのだ」と聞くと、子供は外に出て石川を渡り坂上に着くと「ここです」と言った。
そこでその草原の泉の水を汲み体を清めた。
これにより、出雲国造が参内する時にはその泉の水を用いることになった。
 以上の故事により、今でも妊婦はその村の米は食べない。
もし食べると、生まれてくる子供は話すことが出来ない。
という訳でこの地を三澤という』

これは現在の奥出雲町三沢地区を指しますが、阿須伎(あすき)神社のある海辺の遥堪から40kmばかり中国山地に入った場所です。

ここで重要なのは、出雲国造が朝廷での儀式に向かうための「浄めの儀式に使う水」の発見者を、アジスキタカヒコネとしていることです。
彼はスサノヲとアマテラスの血を継ぐアマテラス母系の孫ですから極めて重要な人物で、最高権威の儀式に使用する水の発見者としてまさに適任者です。
それゆえに、古事記は彼の存在を記さなければならなかったのではないでしょうか。

葦原中国の統率者としてアメノオシホミミの子ニニギが天孫の身分で降臨しますが、ニニギは息子とその嫁の子ですからアマテラスの母系の孫ではありません。
この背景には、高天原にアマテラス母系ではない勢力が発言力を持っていたことを暗示しているような気がします。
アジスキタカヒコネの扱いがあの程度になったのは、その勢力への気配りがあったからではないでしょうか。
とはいえ、アジスキタカヒコネは鴨の大神として奈良の葛城に祀られています。
これはコトシロヌシと同じ理由ではないでしょうか。

以上により人間アジスキタカヒコネは、「正当な血筋として出雲と高天原の頂点に立つべき人物であったが、亜流の勢力により消された王子」だったのではないでしょうか。

彼の死因は不明ですが、血筋抹消の動きがあった(大神山神社宮司家秘伝)ことから考えますと、暗殺だったのではないでしょうか。

―アジスキタカヒコネ編 完―

連載はまだまだ・・・つづく

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