もしも古事記の神々が人間だったら・・・【20】

スセリヒメ≪その七 完結編≫

スセリヒメ

出雲に帰った大国主は、スセリ姫に事情を話したはずです。
王を父とし王の妃であったスセリ姫は、権力闘争とそれに翻弄される部族の惨状を十分理解していたはずです。
賢明なスセリ姫は、何も言わないで応じたと思いますが、住む場所だけは自分で決めたのではないでしょうか。
彼女が選んだのは、水と食糧が豊富で、父スサノヲと強い信頼関係が続いていた大山の裾野に広がる妻木地方でした。
そこなら古代出雲の中心地から離れています。
妻木は、高天原族にとっても好都合だったと思います。
コトシロヌシが籠もった青柴垣つまり波波伎神社の地へは、ヤマトから高官が船を利用して度々来ていたとの伝承があります。
コトシロヌシが変な気を起こすのではないかと、監視の者が来ていたのです。
波波伎神社の地から大山裾野の妻木は、船を使えばそんなに時間はかかりません。
監視の対象は、コトシロヌシとスセリ姫だったはずです。

スセリ姫はそのような環境の中で、出雲族が虐げられないよう見守り続けたのではないでしょうか。高天原族のシンボルのアマテラスと差しで話せるのは彼女だけだったと思われますから、出雲族はスセリ姫を頼りとしていたはずです。
そのようなスセリ姫の威光が、のちに「毒虫・まむし除け」の御利益として語り継がれたのではないでしょうか。

高天原族としては、出雲族は言うまでもなく西日本各部族の間に伝わるスセリ姫信奉の思いを、一日も早く消し去りたかったと思われます。
それには、各地の伝承をまとめた最初の書物で、スセリ姫を嫌な女に仕立て上げる必要があったのでしょう。
これを裏付けるように、古代出雲地域にスセリ姫を祀る地は皆無に近いのです。
壊されたか、祭神を変えたと思われます。
でもさすがに出雲大社では、御向社(みむかいのやしろ)として本殿の向かって右隣に祀られており、正后と説明されています。
そして左隣には筑紫社(つくしのやしろ)としてタギリ姫が妻として祀られています。
ところが出雲大社の本殿内に、ミホツ姫を祀る社はありません。
これは何を意味しているのでしょうか・・・

スセリ姫は、妻木で生涯を終えたようです。その場所が唐王神社です。
この神社は、地図にはありません。
明治時代初め頃には氏子が1万2300もいたと記されている神社ですよ。
周辺のもっと小さな神社がちゃんと書かれているにもかかわらず、唐王神社は今でも地図上には無いのです。
これは高天原族つまりのちのヤマト王権の、スセリ姫抹消の思いがどれだけ大きなものであったかの証です。
スセリ姫はそれだけ大きな存在だったのでしょう。

もしスセリ姫が「打倒高天原」の声を上げていれば、血で血を洗う抗争が拡大し、日本の歴史は変わっていたでしょう。
彼女がそうしなかったのは、出雲族は争いを仕掛けない部族であることを後世に伝えようと考えたからではないでしょうか。
そのような彼女の痕跡を消そうとした高天原族は、常に面従腹背の疑念と新たな力の台頭に怯え続けることになったのです。

―スセリヒメ編 完―

連載はまだまだ・・・つづく

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