ナガスネヒコ≪その四・完結編≫
古事記が完成してから約100年後、桓武(かんむ)天皇の平安時代に入ってから、大和王権(高天原族)は東方(蝦夷の地)の征服を本格化します。
このときの総司令官が坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)で、征夷大将軍の肩書きです。
他方、迎え撃つ蝦夷側の総司令官はアテルイです。
アテルイは、武将として信頼できる坂上田村麻呂の「命の保証をする」との説得に応じて和平のために京都に行き、即座に首をはねられます。
武将の約束を公家が破ったのです。
言い換えれば、大和王権(高天原族)が神武以来の汚い手を使ったのです。
実は、このアテルイが、ナガスネヒコの子孫であるとの説があります。
大和王権台頭の礎(いしずえ)となった神武と戦った英雄の子孫が、50代天皇桓武に命じられた大和王権軍に立ち向かうという構図です。
蝦夷の地である東北の人々がそのようなロマンを描く気持ちは分かりますが、ひょっとしたら単なるロマンではなく事実なのかもしれません。
このアテルイの生まれ変わりが安倍貞任(あべのさだとう)で、奥州藤原氏につながるという『炎立つ』(ほむらたつ)という物語を、高橋克彦氏が書いています。
今も東北地方には「蝦夷の地は大和王権(高天原族)のだまし討ちにより蹂躙された。出雲の地も同じだ」と出雲地方に親近感を抱く人が少なくないそうです。
ナガスネヒコは、古事記にはない古代東日本につながる人物です。彼が取るに足らない部族長であったなら、子孫の話など残らなかったでしょう。
大和王権定着後、奈良盆地は王権関係者の墓や住居が建てられたり壊されたりし、王権以前の状態は消されてしまいました。まさに根絶やしにされたのですが、その背景にはナガスネヒコの片鱗すら残したくないとの思いがあったような気がしてなりません。高天原が、スサノヲの次に恐れていたのがナガスネヒコだったのではないでしょうか。
―ナガスネヒコ編 完―
―【もしも古事記の神々が人間だったら・・・】シリーズも 完―
多忙のため次回3月20日は休みます。
4月からの新連載をどうぞお楽しみに。