大神山神社の秘伝【2】

「我が相見家は、大国主命の息子であるアジスキタカヒコネ神の血を受け継いできた家系ですわ」

宮司さんは話し始めました。

以下に、私とのやりとりを再現します。

「古事記で、シタテル姫の兄として登場する、あのタカヒコネですか?そんな家系が本当にあったのですか。今までそんなことは一言も仰らなかったじゃないですか」
宮司
「これは一子相伝で、息子達にも詳しいことは話しとらん。だけどあんたが一生懸命調べとるのを見とって、あんたになら話してもええと思うようになった」
「有難うございます。私はヤマト朝が成立する前に、この辺りに西日本をまとめ上げた勢力があったのではないかと思っています。それがイズモ王朝だと考えています。しかし文字のない時代なので、伝承以外に証拠がありません」
宮司
「あんたが伝承を調べとるのは知っとる。うちの家系の話は一子相伝だけんな、外には漏れとらん」
「タカヒコネの話は聞いたことがありません。どうして話す気になったのですか?」
宮司
「あんたが真面目にやっとるし、もう隠さんでもええ時代になったとも思うしな」
「島根半島からこの辺り一帯には、お宅のような家系があちこちにあるような気がしています。富さんという家系をご存知ですか?」
宮司
「知らんな」
「聞いた話ですが、大国主命の直系の血筋だそうです。この家も一子相伝により密かに維持してきたそうですが、多分最後の方が、インタビューに答えたものが本になったようです。私はプロローグしか読んでいません。この富家の先祖を祀った富神社が簸川にあるそうです。簸川に友人の宮司がいますので彼に 聞きましたら、富家は消滅し花田家に継承された。しかしこの花田家も消滅し、今は春日家が継承しているそうです」
宮司
「春日家?春日は親戚だ」

大国主命の血筋と、息子であるアジスキタカヒコネの血筋が親戚であるのは自然です。しかし、両家とも2千年間何度も「姓」を変え、住む地を変え、その血筋を秘匿し続けて来たのです。

現に、大国主命筋はこの30年程でも「富」→ 「花田」→「春日」と変遷しており、相見宮司は「富家」のことをご存じなかったのです。

その「春日家」と「相見家」が親戚とは、2千年のときを経て親子の血筋がつながっていたのです。

…つづく

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大神山神社の秘伝【2】 への3件のフィードバック

  1. 市川@武州荒木(横浜市在住) のコメント:

    多羅尾様、はじめまして。市川@武州荒木(横浜市在住)と申します。私、富家伝承を勉強しておりまして、出雲関係の記事をネットサーフィンして見ていたら、こちらにたどり着きました。

    富家伝承については、先代の富當雄氏に取材して、故吉田大洋氏が「謎の出雲帝国」を書きましたが、吉田氏の「謎の出雲帝国」は、吉田氏の個人的な見解が多く紛れ込んでおり、生前の富當雄氏はこれに不満で、ご子息に「真実の出雲史を普及させてくれ」と御遺言を残されたとのことです。

    富家が出雲を離れた後、出雲の財筋はどうなったのか?と思っておりましたが、多羅尾様のこちらの記事により、富家→花田家→春日家と変遷がありながらも、現在も健在であられることが分かり、安心致しました。

    富家は、御存知の通り、現在は出雲を離れておりますが、富當雄氏のご子息はご健在で、大元出版という出版社を立ち上げられ、ご先代の御遺言を実行されて、「斎木雲州」のペンネームで富家の伝承を執筆され書籍として出版されています。

    多羅尾様は、富當雄氏のご子息の斎木雲州氏の書籍は読まれておいででしょうか?

    多羅尾様の富家伝承についてのご見解をご教示頂けますならば幸甚です。

  2. 市川@武州荒木(横浜在住) のコメント:

    古事記おじさん様、はじめまして。
    出雲の歴史について、富家伝承から学んでいる者で、ネットサーフィンして、こちらにたどり着きました。

    富家伝承については、故吉田大洋氏が富家先代の富當雄氏に取材して書いたという「謎の出雲帝国」が有名でしたが、富當雄氏のご子息のペンネーム斎木雲州氏の著書「出雲と蘇我王国」において、吉田大洋氏の理解は「かれの理解は消化不良であることが、本を読んで分かった」とあり、御先代の富當雄氏も不満だったようで、出雲の古代史の本を自ら書いたとのことです(京都の出版社から本を出したが、すべて何者かに回収され世に出回らなかったそうです)。富當雄氏は、ご逝去の前に、ご子息の斎木雲州氏に「真実の出雲史を普及させてくれ」と遺言され、ご子息の斎木雲州氏は、現在は出雲を離れて、大元出版という出版社を立ち上げられて、自らの家の伝承と、その伝承から日本の古代史を紐解かれて、著書を精力的に出版されています。こちらの記事で、富家が出雲を離れたあと、財筋がどうなったか気になっておりましたが、現在は春日家が首長を継承されておられるということが分かり、安心しました。ただ、富家は消滅したのではなく、出雲を離れたということの様で、私の知り合いの方が、今年の春、コロナ禍が始まる前に、富家の現在の御当主にお会いして、色々とお話をお聴きしておりますので、富家は出雲を離れてしまっておりますが、ご健在のご様子です。私は出雲王国の末裔の家は、富家や神門臣家の流れを汲む血筋しか認知しておりませんでしたが、相見家もその一つであることが分かりました。富家伝承では、アジスキタカヒコは、神門臣家の系統と伝承しており、神門臣家の血筋は、別火家・神門家以外に、相見家もあることが、古事記おじさん様の記事から分かりました。古事記おじさん様の著書「古事記外伝」「山陰の古事記謎解き旅ガイド」も読ませていただいております。今後も、こちらのサイトの記事も拝見させて頂きますので、御健筆のほど、お祈り申し上げます。

    • 古事記おじさん のコメント:

      市川@武州荒木(横浜在住)さん、コメントありがとうございました。
      返信遅くなり申し訳ありません。

      寡聞にして斎木雲州氏の書籍は読んでおりませんが、吉田大洋氏の「謎の出雲帝国」は読みました。
      富當雄氏が話された内容の詳細を期待していたのですが、吉田氏の個人見解の羅列で失望した記憶があります。
      ですから富家伝承は、ほとんど知らない状態です。

      古事記を読む限りでは、大国主命の国譲り後の消息は不明です。
      文脈では、国を売って勝者の女性を迎えるためにスセリ姫を捨てた人物ですから、地元部族の反感は大きかったでしょう。
      ですから彼の崩所・埋葬地に関する話は、出雲地方では全く聞けません。
      彼の妻でありスサノヲの娘・スセリ姫の崩地と伝えられる地はあります。
      しかし彼女を祀る神社は、山陰ですら出雲大社本殿内を含めても三カ所しかありません。

      古事記は勝者の歴史ですが、神話部分の記述の44%(原文の行数)を出雲地方に割いている点から、「それだけの事を書かねば、当時の各部族が納得しなかった」と、私は受け止めています。
      その理由はスサノヲであろうと考え、古事記外伝を書きました。
      彼の末裔である日御碕神社宮司家(小野家)の娘が千家家に嫁いだ(現千家宮司の妻)ことで、スサノヲ血筋とアメノホヒ血筋の手打ちが行われ、千家家と高松宮家の婚姻でアメノホヒ血筋とアメノオシホミミ血筋の手打ちが行われました。
      つまり出雲族と高天原族の2千年に及ぶ怨念に、終止符が打たれた訳です。
      ですから今後、これまで封印されていた『秘話』がポツポツと出て来るのではないでしょうか。

      富家の伝承に「スサノヲが建てて住めと言った、オホナムヂとスセリ姫の新居」の話はあるのでしょうか。
      古事記では『宇迦の山の麓』と書かれていますが、現在は奥宇賀・口宇賀の地名になっています。
      もしこの建物の遺構が出てくれば、出雲大社の埋柱以上の発見になるのですが・・・

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