今こそ古事記を読もう【16】

【9】でも述べましたが、古事記の序は元明天皇を大賛美しています。

それだけ素晴らしい天皇が、天武天皇が指示していた歴史書の編纂を具体的に命じたとしている訳です。

これまで述べてきましたように、38代天智天皇誕生(661年)から43代元明天皇誕生(707年)までの46年の間に、6人の天皇が入れ替わっています。

それは血みどろの骨肉の争いを伴うものでした。皇族ですら殺し合いをするのですから、それにつながる高官や部族の間でも陰湿な戦いが繰り広げられていたはずです。

このような状態では、『国家の最高権威』に対する信頼は言うまでもなく、認識すらどうなっているか分からなかったと思われます。
これって、今の日本の状態に似ているとは思いませんか?

1300年前、『最高権威』を認識させ、信頼させなければならない事情があった訳です。

その事情ゆえに編纂されたのが、古事記だったのであろうと考えています。以上の背景を頭に入れた上で古事記を読みますと、単なる神話ではないとお分かり頂けるはずです。

天智~聖武天皇系図
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今こそ古事記を読もう【16】 への2件のフィードバック

  1. 24 のコメント:

    聖武天皇の即位で中大兄皇子と中臣鎌足公の悲願にたどりつくのですね!
    小学校の卒業論文で大化の改新を調べていたのですが、藤原政権確立までの、道のりが理解できず、上手くまとめることができませんでした。ずっときになり大人になっても、気にしながら歴史を読んでいました。
    うっすらとイメージが出来ていたのですが、本章にスッキリまとめていただきクリアとなりました。オジサンに感謝いたします。
    PS.
    24の推測では、鎌田公と不比等公は、鹿島の坂東武者を引き連れて大和へ入り、中大兄皇子と政権脱却を狙ったと思っています。アマノコヤネ命の子孫とタケミカズチ命の御加護を受けたとのフレコミの野蛮な坂東武者の出現は大和にインパクトを与えたと思います。

    • 古事記おじさん のコメント:

      24さん、ありがとうございます。

      今も昔も、権力の確立と維持は闘争です。今の日本は、流血がなくなった分だけ甘さが生じていると思います。
      ですから歴史を見るとき、現代人の多くが「明日殺されるかも知れない」との恐怖感を無視した解釈をするようです。
      高天 原族が創り上げたヤマト王権の関係者達は、常にその恐怖を背景に思考・行動していたと思います

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