日本の古代を考えるときに「古事記」「日本書紀」と並んで出てくるのが「魏志倭人伝」です。
これは「魏志倭人伝」という書物があるのではなく、「魏書」の中の「倭人」について書かれた部分のことです。
そこに「倭人」の風俗や住む所への行程が書かれているのですが、それらに関しては全て聞き書きです。
しかし239年に、倭国の女王卑弥呼に魏の明帝から「親魏倭王」の金印が与えられたこと、更に247年に狗奴国との戦に際し詔書を出したなどの記述は、魏国の史実でしょう。実際に魏の国内で経験したことは史実と受け止められますが、聞き書き部分は????です。
ところがこれまでの日本の古代史研究の世界では、この「魏書」の記述を「全て史実を記すもの」と受け止めています。それだけではなく、「倭国」を日本列島にある国と確信しているようです。
ですから、「倭国=日本」だから「邪馬台国は日本にあった」を前提とした古代史となっています。
とはいっても「邪馬台国」の場所が不明で、北九州説と畿内説で争ってきました。双方とも古墳や住居跡、さらには古くからの地名などを根拠として、外野からみれば我田引水とも思える主張を展開しています。
ただ、どちらも決め手がなく、決着はついていません。
そのような中に何年か前から、斬新な解釈方法で山陰(=古代出雲)説までも現れています。主張者が、知的遊びではなく学説と表明したため、学界から公開質問が出されました。
ですが彼が解答しなかったことにより、学界では無視することにしたそうです。
21世紀になっても論争の続く「邪馬台国・卑弥呼」ですが、「古事記」にはそれに関する記述は全くありません。(日本書紀にもありません)
12年秋に、「書かれていないのは藤原不比等の陰謀」との主張が現れました。この主張も、「魏書の内容は史実である」ことが前提となっています。
従来からの学界も最近の新説も、日本から遠く離れた地で書かれた「魏書」の内容を史実とし、日本で書かれた書物の内容を「陰謀」「偽書」と実に軽く扱っています。
私は、自国の書物を否定して、どこまで信用して良いのか分からない古代中国の書物を肯定する姿勢に疑問を感じます。その最大の理由は、古代中国内陸部に存在した国が、遙か東の海中にある小国(彼らからみれば)の正確な情報を必要としていたのかと考えるからです。
…つづく
不比等公の名前は奇妙であり、不気味な感じがします。
ヒトシク、クラブルモノ、アラズ。また、別の漢字を当てると不人(ヒトニアラザズ)。鹿島神宮で鍛えた、剣の達人だったように思えます。