古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【1】

― はじめに ―

古事記おじさん

これまで古事記に書かれている内容を下地として、大和王権(大和朝廷)が出現する前に『山陰地方に、スサノヲと称される人物が創った勢力圏があったのではないか』と、勝手なことを書いてきました。
「そうかもしれないね」と賛同する方も、「いや違う!」と否定する方もいらっしゃると思います。
いずれにせよ、2千年も前のことであり、当時の人が文字で記録を残していませんから、事実は誰にも分かりません。

数少ない手がかりが、1300年前に書かれた古事記・日本書紀・風土記です。
実は日本書記に「天皇記・国記という書物があったが、蘇我氏が滅びたときに焼失した」と書かれています。
ですから学問の世界には「古事記・日本書紀が日本最古の書物というのは、間違い」と、強く主張する方もいらっしゃいます。
厳密にいえばそうかもしれませんが、写本もないのですから、一般人の言葉尻をとらえて「だから素人は何も分かっていない」と切り捨てるほどのことではないと思います。

「焼失」したと書かれていることで腑に落ちないのは、「貴重な書物を蘇我氏だけが所有していた」点です。
天皇記・国記という書物を作っていたのであれば、最低でも正と副の2巻は作ったはずで、正は天皇家が保管し、副を天皇家を補佐する家系に保管させたはずなのです。
当時、蘇我氏がどんなに深く天皇家と結びついていたとしても、正・副を持つ必要はありません。あったとするなら、書かれている内容が事実と異なる場合です。
ですから私は、「日本書紀に焼失したと書いてあるのだから、無くなったのだ」で済ませている『考え方=解釈の仕方』に対して疑問を感じています。

この疑問は、古事記にも当てはまります。
古事記が一般の人の目に触れるようになったのは、1756年に本居宣長が京都で「古事記」と「先代旧事本紀」を手に入れたとされていることから始まります。
これは9代将軍・家重の時代のことです。
宣長は34年をかけて『古事記伝』を執筆したとされていますが、この本は「古事記の解釈の仕方」を書いたものです。
本の解釈の仕方は、読者の立場や発想で様々ですし、時代によっても変わります。
ですから宣長の解釈の仕方が正しいかどうかは分からないのですが、一応正しいとされており、現在も多くの読者がその流れで解釈しています。
私もそうでした。しかし辻褄の合わない部分や、「ここでこのようなことが書いてあるのはなぜ?」という所が多く、「解釈の仕方が間違っているのではないか」と思うようになりました。この気持ちを更に強くさせたのが、古事記の舞台となっている山陰地方に残されている伝承です。

今の私は、古事記が書かれた時代の環境・宣長の時代の環境・各地の伝承などを総合的に考えた21世紀の視点で古事記を読んでいます。
そこで、正しいか間違っているかは別として、私の読み方をご紹介します。

・・・つづく

カテゴリー: 古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』, 連載を読む パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。