特集:「国譲り」とは何だったのか【其の三】

2012年が古事記編纂から1300年目ですが、これは、八百万の神々が21世紀の我々に、『大和地方に根付いた権力により改ざんされた、その権力出現以前の日本各地の歴史』を『再考せよ』と伝えているのではないでしょうか。

私は「八百万の神々」とは、ヤマト勢力による統一以前に、日本各地(主に西日本)に割拠していた部族の祖神(=祖先)であると考えています。

古代、各地に血族を中心としたいくつもの集団が点在しており、その地の『風土』に合った生活を営んでいたはずです。
彼らは生活の中から、自らの力ではどうすることもできない『風土(=自然)』を畏れ敬うようになり、『風土』と共に生きることを学んだのでしょう。
長い年月により『風土』の変化に対する学習をしたはずです。

それは年長者から後継者へ伝えられ、年長者より更に年長者、つまり祖先が敬われるようになったのではないでしょうか。

彼らが『神』という概念を持っていたかどうか分かりませんが、自分達の力を越えたもの、或いは自分達に様々な知恵を与えるものに対して、『気持ちを伝える』『教えを請う』行為がパターン化され、今で言う宗教的行動になるのは自然です。

これにより、各地の自然や部族の祖先が『宗教的行為』の対象となり、後に言う『祖神』になったと考えられます。

天津神とか国津神は、出雲の国譲りで古事記が勝者と敗者に勝手に付けた名前です。

問題は『八百万の神々』です。

十把一絡げで個々の名前は紹介されていませんから、「各地の部族の祖神がそれだよ」と言われれば悪い気はしません。

古事記は、高天原での主導的立場の神名は明記しており、八百万の神々は会議に出席しているがその配下にあるとの関係を暗示しています。

今風に言えば、経営会議に出席している社員のようなものです。
発言でき、それを尊重されるが、主導権は経営者にあるという関係です。

古事記が、『各部族の祖神』が『ヤマト権力の祖神』とその様な関係だと記しているのですから、『現各部族』が『現ヤマト権力』と同様な関係であっても、論理的に矛盾しないということになります。

古事記は各地の伝承を吸い上げて『文字』で記した『最初の公の書』ですから、これがその後の基準になります。
つまり、古事記に記されている歴史以外はないということで『確定』させてしまった訳です。

先に述べた古事記編纂1300年は、この『確定』以前の状態を考えるきっかけなのではないでしょうか。

書物としては『記紀』以外にないのですが、「事件は現場で起きた」のですから、『現場』で情報を探すしかありません。

その現場が、『古代出雲王国』エリアなのです。

おしまい

【特集】「国譲り」とは何だったのか
 https://www.kojinazo.net/?p=43
■「国譲り」とは何だったのか【其の一】
 https://www.kojinazo.net/?page_id=1355

■「国譲り」とは何だったのか【其の二】
 https://www.kojinazo.net/?page_id=1357

■「国譲り」とは何だったのか【其の三】
 https://www.kojinazo.net/?page_id=1359


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。