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古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【6】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ③ この頃大陸では唐、朝鮮半島は百済・高句麗・新羅の時代になっていたのですが、半島三国間では何かと争いが絶えなかったようです。 三国はそれぞれに唐や日本を味方につけよう … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【9】

大海人皇子は天武天皇となり、親『新羅』姿勢を明確にします。 天武の次には息子ではなく皇后が、持統天皇(在位690年~697年)として即位します。 彼女も天武天皇の外交方針を引き継ぎ、親『新羅』政策をとりました。 しかしそ … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【6】

日本の場合は大陸部とは様子が違います。 大陸から見れば東の海の向こうの島ですから、海あるいは島の海岸線が国境となります。 『唐』や『新羅』がよほど必要性を感じなければ、海を越えて まで攻めては来ません。 それでも白村江で … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【5】

話を元に戻しましょう。 大国『唐』から見れば取るに足らない僻地でも、そこに住む弱小途上国間では民族の存亡をかけた策略と争いが展開されていました。 660年の『百済』滅亡後、日本は『百済』の残党から求められ、「日本・百済残 … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【4】

前回「500年代後半から600年代前半の海外環境を見る必要がある」と述べました。 その時期を中国に当てはめれば、589年に中国を統一した 『隋』と、618年に取って代わった『唐』の時代です。ですから『随』『唐』が、周辺に … 続きを読む →

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「古事記」は『独立宣言』だった!?【3】

では、古事記が編纂された頃の国際環境を考えてみましょう。 その時期ですが、古事記の『序』に歴史編纂を発案したのは天武天皇であると記されており、天武天皇の即位期間673年~686年、つまり600年代後半ということになります … 続きを読む →

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