古事記に登場する神々の謎【番外】五十猛命の母は?

※11月15日 間違いがありましたので
  訂正の追記をしました。

前回の大屋毘古神の記事に、読者の方から「五十猛様の母様はどなたなのでしょう…」という質問をいただきました。
長くなりますので、ここでお話しします。

五十猛(いそたける・いたける)命ですが、彼は古事記には紹介されておらず、日本書紀の八岐大蛇(やまたのおろち)一書(第四)と(第五)で紹介されています。

(第四)では、スサノヲが高天原から追放される時、「その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降りられて・・・」と書かれ、続いてスサノヲが「私はこの地には居たくないのだ」と言い、「土で舟を作り出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の峯についた」と書かれています。

その上で「五十猛神が天降られるときに、たくさんの樹の種を持って下られたが、韓地(からくに)に植えないで全て持ち帰って、筑紫から植え始めて・・・紀伊国においでになる大神はこの神である」となっています。
この記述では「その子」だけで母親は分かりません。

また、新羅に一旦降りたが、「ここはいやだ」ということで出雲に来たとしています。

(第五)では、スサノヲが「韓郷(からのくに)の島には金銀がある。もしわが子の治める国に舟がなかったらよくないだろうと、木の種子をまいた」と説明した上で、このスサノヲの子を名づけて「五十猛命という」と書かれています。

他に妹達の名も紹介されていますが、結論は「紀伊国にお祀りしてある」です。

ここで注意すべきは、(第五)では五十猛が韓国に行ったとは書かれていない点です。
また、ここでも母親の紹介はありません。
(第四)・(第五)とも、五十猛が韓国人だとは、どこにも書いていません。
五十猛に関する以上の記述から考えますと、彼は高天原を追放されたスサノヲに同行してきた訳です。

ですから古事記的に解釈すれば、天つ神の仲間です。
この古事記でいう天つ神で、イザナギ・イザナミ以前に現れた神々の場合、親は紹介されていません。

最後に現れたイザナギ・イザナミが神生みをしたのですから、彼らがその後の全ての天つ神の親ということになります。
古事記ではイザナギ・イザナミが自然界の色々な神を生むのですが、「木」に特化した神は見当たりません。
日本書紀の完成は、古事記から八年後です。

この事実から推測すると、日本書紀の編者達が「古事記には、山や草原の神の紹介はあるが、木の神がない。こっちで入れよう」と考えたかもしれません。

しかし「イザナギ・イザナミの神生みに付け足すのは不自然だ、どこに入れるのだ?」となった結果「きりのいい場所であるスサノヲ追放にくっつけよう」となったとも推測できます。
そこで元々紀州地方の部族の間で木の神とされていた五十猛を、スサノヲの子として入れたのではないでしょうか。

古事記で無理に「木」の神をあげるとすれば「大屋毘古神(おほやびこ)」が最も近いようです。
ですから、「大屋毘古=五十猛」説が生じたのではないでしょうか。

この前提で考えれば、五十猛の母親はイザナミということになります。


2012年11月15日 訂正

大変間違った思い込みをしていました。

古事記に木に特化した神の記述がないと書きましたが、私の間違いです。

神生みの三段目で風の神の次に、木の神として久久能智(くくのち)神を紹介しています。

その次が山の神の大山津見(おおやまつみ)神ですが、そちらにばかり目を引かれ、久久能智神を見ていませんでした。

これにより私の推測はおかしくなりますが、紀州地方の木の神「五十猛」をスサノヲと結びつけようとの意図があったことに関しては、間違っていないような気がしています。

勉強不足をお詫びいたします。

最初に読んだ時の思い込みにより、その後何度読んでも気付かなかった点を反省しております。

皆さんの推測も、コメントして下さい。

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