「古事記」は『独立宣言』だった!?【3】

では、古事記が編纂された頃の国際環境を考えてみましょう。

その時期ですが、古事記の『序』に歴史編纂を発案したのは天武天皇であると記されており、天武天皇の即位期間673年~686年、つまり600年代後半ということになります。

行動を起こそうと言い出したのがその頃ですが、行動を起こさなければならない環境はそれ以前に生じ、徐々に深刻になっていたと思われます。ですから500年代後半から600年代前半の海外環境を見る必要があります。

海外環境といっても、当時この国に影響を及ぼしていたのは主に朝鮮半島と中国大陸なのですが、余談として大陸の遙か西では570年にマホメットが生まれ、610年頃にイスラム教が成立しています。
今もなお続くキリスト教とイスラム教の対立の芽がこの頃生じていたのです。

話を元に戻しましょう。

まずその頃の中国大陸は、いったいどのような状況だったのでしょうか?
『秦』からの流れをざっと述べます。

紀元前256~206年の、50年間の『秦』による統一支配のあと、紀元220年までの426年間は『前漢・後漢』の時代となります。その後200年代後半まで『魏』『呉』『蜀』の三国に分裂するのですがそれでは収まらず、589年に『隋』により統一されるまでの約300年間は小国乱立の紛争状態でした。

『漢』の統率力が失われ始めたのは220年よりずっと前のはずですから、中国大陸各地での戦乱状態は400年近い期間だったと考えられます。ですから『随』の統一は、中国大陸での歴史的偉業だったのです。

『隋』が統一に費やしたエネルギーは膨大なものだったのでしょう、わずか29年後の618年には『唐』に取って代わられ、628年には『唐』の国内統一が終了します。

『唐』時代も、統一までの10年はぎくしゃくしたと思われます。
しかし基本的には『随』が苦労して作ったものをそっくり頂いたのですから、907年までの289年間君臨しました。

・・・つづく

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