古事記、日本書紀との出会い・・・

前回のつづきですが、私は、『大国主命』を調べようと、『古事記』『日本書紀』を読み、特に古事記を読んでいて驚きました。というのも、米子のすぐ近くで大己貴命(=大国主命)が殺され、生き返っているのです。

その地名『手間(てま)』は、今も普通に使われているのです。
早速その場所、赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)に行きました。

小さいながら形の整った神社で、広くはない境内を巨木が覆っていました。社殿のすぐ横に、注連縄(しめなわ)を張り巡らせた石の垣があり、その中には苔むした大きな石が重なっていました。これが猪石かなと様々な角度から見たのですが、形がしっくりきません。

これは宮司さんに聞くしかないと、お宅を訪ねました。

「あれは蓋(ふた)ですわ。言い伝えによると猪石は地中深く埋められており、地表に現れないようにあの石で蓋がしてあるのです」

社殿は大正時代に山頂から現地に移されたそうですが、石は大昔からあったそうです。古事記に記されている事件の現場が、私の住む米子市から30分足らずの所にあり、古事記の地名が今も使われているという事実を知りました。

このことがキッカケとなり、さらなる古事記の真相を探るべく、私は次の現場へ向います・・・・。
これから私は先々で、いろいろな「謎」と「場所」と出会うことになります。

このブログは、これまでに私が出会ってきた「謎」、そして「場所」をより多くの方に知って頂きたいと思い始めた「謎解き旅ブログ」です。

ぜひこの旅ブログについてきてくださいね!

おっと、次なる謎が、呼んでいる。
報告は、次のブログで・・・!

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