古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【49】

―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ⑥

次にその禍(まが)を直(なほ)さむとして、成りませる神の名は、
(3)神直毘(かむなほびの)神。次に
(4)大直毘(おほなほびの)神。次に
(5)伊豆能賣(いづのめの)神。

「禍(まが)」とは、禍津日(まがつび)の「禍」であって、
穢國(きたなきくに)の汚垢(けがれ)を意味する。

死の国の穢れということのようです。
「直(なほ)す」とは、滌(そそ)ぎ清める意味だ。
これは「身」を清めるのであって、「心」を清めるのではない。

神直毘(かむなほびの)神、大直毘(おほなほびの)神「直」は、
未直(いまだなほ)からざるを直(なほ)すという意味の名である。
上に「直(なほ)さむとして」とある点で理解すべきである。
だからこの二神は、穢(きたなき)から清(きよき)に移る間に現れた神であって、
直毘(なほび)とは、禍(まが)を直(なほ)す魂の意味である。

伊豆能賣(いづのめの)神「伊豆」は、
すでに汚垢(けがれ)を滌(そそ)ぎ祓(はらひ)て、
明(あか)く清(きよ)まりたる意味で、
「明津(あきづ)」のつづまった言葉である。

つまりこの神は、御禊(みみそぎ)によって穢悪(きたな)き麻賀(まが)を、
「神直(かむなほ)び」「大直(おほなほ)び」に「直(なほ)し」「清め」て、
「直(なほ)く」「清く」「明(あか)く」なった魂である。

カムナホビ・オホナホビ・イヅノメの三神は、
穢れた状態から清い状態への変化の段階を意味する神のようです。

イヅノメの神が、完成形のようです。

現代はテレビや雑誌のコマーシャルで、
見る者に分かり易いように「使用前」「使用後」の写真や映像などが多用されています。
古事記は読む者が分かり易いように、清めの「始まり」「中間」「完了」を、
神の名を変えることで理解させているようです。
ですから当時の人は、神の名を聞いただけで状況が分かったのでしょう。

昔は全ての「善きこと」を、「明(あか)し」とも「清し」とも「直(なほ)し」とも言ったが、
「穢れた状態を清くする」のが「禊」であった。

だから黄泉の穢れにより禍をもたらす禍津日(まがつびの)神を最初に登場させ、
次にその穢れを清めようとして悪を善に直す
直毘(なほびの)神を登場させ、
最後に清め終えて吉善(よく)なった時に
伊豆能賣(いづのめの)神を登場させているのである。

ここまでは、流れの中流に潜ったことにより現れた神の説明でした。
次には潜った深さにより新たな神が現れます。

・・・つづく

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