古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【36】

―「神話部分」を読む ― 黄泉の国 ①

妻が亡くなる原因となった火の神カグツチを斬り殺したイザナギは、妻に会おうと黄泉の国に出かけます。

原文は
ここにその妹(いも)伊邪那美の命を相見むと欲(おも)ひて、黄泉(よみの)国に追ひ往(ゆ)きき。
ここに殿の縢戸(さしど)より出で向かへし時、伊邪那岐の命、語らひ詔(の)りたまひしく

イザナギは、妻イザナミに会いたいと思い、黄泉の国に出かけた。
イザナミが建物の入り口に迎えに出た時、イザナギが語りかけた。

さらっと読めばそれだけのことです。
しかしここは、これまでの姿形がはっきりしない「神」の出現説明から物語として「人間の営み」に切り替わって行く、とても重要な部分なのです。
それを表しているのが「黄泉の国」です。
宣長は、この「黄泉の国」に多くの字数を割いています。

“黄泉の国”とは“死者が居る国”である。
「生き返る」を「よみがえる」と云うが、それは「黄泉より返る」という意味で生じた表現だ。

と説明しています。

またその場所については、「下方にある暗い国だ」としています。
「下方」とは、地面の下つまり「地中」を意味しているようです。
「暗い」は、イザナギが灯りをつけたことを根拠にしています。

つまり“黄泉の国”とは“地下の暗い国”ということだとしているのですが、
「そのような国があったとしているのではなく、死者を地中に埋め隠した事実を伝えているのだ」
と、極めて科学的な見方をしています。

その上「黄泉の国」の理解の仕方に関して、
「古事記は、古代の日本人の当時のありのままを述べている」
「だから古事記に書かれていることを、ずっとあとに日本に入ってきた儒教や仏教といった外国の発想で解釈するのは間違いである」
「人は死ねば骸となり、蛆がとりつくだけである。」
「魂が黄泉(夜見)の国に行くと云うが、地中に遺体を埋める事実をそのように表現したに過ぎない」

と断じています。

つまり「極楽・浄土・地獄などという死後の魂の世界があるが如く云う外国の思想で古事記を読むべきではない」としているのです。

・・・つづく 

カテゴリー: 古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』, 連載を読む タグ: , , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。