古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【33】

―「神話部分」を読む ― 火神被殺 ①

さて次は、イザナミの死の“後日談”になります。
それはイザナギの
「いとしい妻を一人の子供に代えることになった!」
との嘆きの言葉で始まります。

妻を亡くした夫の嘆き悲しむ様子を
「妻の枕元にはい伏し、足元にはい伏して泣いた」
と表現しています。

日本列島の産みの母の死の場面ですから、かなりオーバーな表現をしたのであろうと思えますが、唯一のパートナーを失ったのですからイザナギが受けたダメージは大きかったでしょう。

その悲しみの涙から現れた神が 41 泣澤女神 (なきさはめのかみ) で、
「坐香山之畝尾木本」 (かぐやまのうねをのこのもとにます) と書かれています。
意味は、 “(大和の)香具山の畝尾の木の本=畝丘樹下(うねをのこのもと=地名)に鎮座する” です。

イザナミの遺体のそばで流した涙から現れた神のいる場所が、奈良地方になっています。
わざわざ住所が書いてあるのですから「イザナミ崩御地はその辺りなのか?」と感じさせます。
ところがそうではなく、「今は○○にいます」程度のことのようです。
その程度なら取り立てて書かなくてもいいように思えます。
でも書いてあるということは、「書かねばならない事情があった」と考えるべきでしょう。
「事情」とは大小様々な部族に対する配慮です。
全ての神には、その神を祖神と奉じている部族がいました。
ですから神の出現を紹介したからには、現況も書かねばその神に連なる部族を疎かにしたことになります。
全部族を完全に制圧していれば、何をどう書こうと文句は言わせなかったでしょう。
この部分だけから考えても、古事記が編纂された時期の大和王権はまだ絶対的権力を持ってはいなかったことを推測させます。

嘆きの大騒ぎのあとに、
「イザナミの遺体を出雲の国と伯伎 (ははき) の国の堺の比婆の山に埋葬した」
と書かれています。
この部分に関して、『古事記伝』は諸説を紹介しています。

まず「伯伎」についてですが、
“伯伎=伯耆で、その国の川村の郡(こおり)に波波伎(ははき)の神の社(やしろ)もある。名の由来は分からないが、箒(ははき)に由来するのかもしれない。またイザナミの命の件で母君(ははき)の国となったとの説もあるが、どうだろうか”

波波伎の神の社とは、倉吉市福庭の「波波伎神社」のことのようです。

波波伎神社

ここには「神社の名が伯耆の語源」との伝承が残されています。
(伯耆の国とは現在の鳥取県中西部にあたり、今は 「伯耆」 を 「ほうき」 と読みます。)
律令時代に全国各地に地方役所として「国府」が設置されますが、伯耆の国府が現在の倉吉市に置かれていることからも「語源説」は正しいのかもしれません。
現在の伯耆一の宮はこの神社から少し東にある「倭文(しとり)神社」で、「波波伎神社」は二の宮になっています。でも元々は「波波伎神社」が一の宮だったそうです。
その理由についての個人的考えですが、「祭神」によるのではないでしょうか。
「倭文神社」の祭神はアマテラスとスサノヲの孫で大国主の娘である「シタテル姫」です。
つまり高天原族と出雲族のハイブリッドです。
これに対し「波波伎神社」は大国主の息子の「コトシロヌシ」ですから、純然たる出雲族です。
出雲が健在の時期は兎も角、国譲り後は高天原系が上位に塗り替えられたのではないでしょうか。

・・・つづく

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