古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【26】

―「神話部分」を読む ― 伊邪那伎命と伊邪那美命 ⑥

正式な儀式により、最初に生まれたのが『淡道(あはぢ)の穂(ほ)の狭別(さわけの)島』つまり「淡路島」です。
淡道は分かりますが『穂の狭別』が分かりません。
宣長も『穂の狭』は分からないと書いています。
でも「強いて言えば」との注釈付きで、「稲穂が出始めた頃の最初の穂先=早いという意味ではないか」としています。『別』は、御子などの名に「和気」として使われることが多いから『狭別』で「最初の子」ということになるようです。

二番目が『伊豫(いよ)の二名(ふたなの)島』つまり「四国」です。
古事記には『この島は、身ひとつにして面(おも)四つあり。面(おも)ごとに名あり。伊豫(いよの)國は愛比賣(えひめ)と謂ひ、讃岐(さぬきの)國は飯依比古(いひよりひこ)と謂ひ、粟(あはの)國は大宜都比賣(おほげつひめ)と謂ひ、土左(とさの)國は建依別(たけよりわけ)と謂ふ』と書かれています。
ひとつの島だが四つの地域に分かれているとしているのですが、四部族と解釈すべきかもしれません。
宣長は、二名の「名」は当て字で、本当は二並(ふたならび)だとしています。二並とは飯依比古と愛比賣、建依別と大宜都比賣の男女二組だとしています。
また愛比賣は、女子の始めという意味、粟國は粟が沢山とれた所で大宜都比賣は粟を意味するとも書いています。

三番目が『隠伎(おき)の三子(みつごの)島を生みき。亦(また)の名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)』と書かれています。山陰沖にある「隠岐島」です。
現在の隠岐は四つの島で、島後(どうご)という大きな島と、島前(どうぜん)という三島を合わせて隠岐島と総称しています。宣長の時代でも四島だったようですが、「本当は島前の三島を言ったのだ」と書いています。
でも私は、古事記が書かれた時代には島前の二つの島がつながっており三島だったのではないかと考えています。
別称の『天之忍許呂別』ですが、なぜこれが書かれているのか分かりません。
宣長は「忍(おし)」は「大(おし)」だとしていますが、「許呂」は分からないと書いています。

・・・つづく

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